肥後国(ひごのくに) 現在の熊本県。
西海道の一国。
国力区分は
大国、
遠近区分は
遠国。
古くは「火国(ひのくに)」と称した。
天武天皇の頃(西暦673年~西暦686年)に肥前、
肥後に分割されたという。
『旧事本紀』には、火、阿蘇、葦分(あしきた)、天草の 4つの国造(くにのみやつこ)を載せている。
このうち火国造は『和名抄』にいう八代郡肥伊郷を中心とする地域とみられ、
阿蘇国造は阿蘇郡にあり、
阿蘇山麓の阿蘇神社を中心として後世まで阿蘇氏が勢力をふるっていた。
葦分(葦北)国造は葦北郡、天草国造は天草郡にあった。
国府、国分寺ともに熊本市にあった。
『
延喜式』には玉名、菊池、阿蘇などの 14郡、
『和名抄』には 99郷、田 2万3500町を載せる。
鎌倉時代には初め守護として名越時章、安達泰盛が補されたが、
のちには北条氏の家督および一門が守護となった。
この国には古代から阿蘇氏、
菊池氏が強い力をふるってきた。
菊池氏は中央の藤原隆家が九州に下り大宰権帥(だざいのごんのそつ)となり、
その子孫ともいうが明らかでない。