神勅とは神の与えた命令、またその文書をさす言葉である。
『記紀』に於いて、
天照大御神が天照大御神とスサノオの誓約で誕生した宗像三女神を、
天孫降臨より以前に日本と大陸の間を結ぶ海の島々(海北道中、胸形之奥津宮、中津宮、邊津宮)に降臨させた女神らで、
宗像大神ともいう。
日本書紀には「道主貴」と記述される。
『汝三神は、宜しく道中に降居して、天孫を助け奉り、天孫に祀かれよ』と神勅を授けられた。
宗像三宮は『記紀』に記載された御神名と鎮座地が明確に記述されたものでは最も古い。
神勅については、 近世以前までは国学者などを別にすればさほど意識されることのないものであったが、 明治後期以降、 急速な近代化の進展にともなって、 共和政体や共産主義を志向する勢力の伸長や、 天皇機関説が憲法学説において目を引くようになると、 これに対抗するための理論的根拠として用いられることが多くなり、 特に戦中にあっては皇国史観や国体論とともに、 政府公認の思想を支える基盤のひとつとなった。