西暦246年(
神功摂政46年3月1日)に
斯麻宿禰を
卓淳国に遣す。
卓淳王の
末錦旱岐が
斯麻宿禰に言うには
甲子年の七月中に、
百済人である
久氐・
弥州流・
莫古の三人が我が国にやってきて
百済王は、東方に日本という貴い国があると聞き、
我々を遣わしてその国に行かせた。
それで道を求めてここに着きました。
もし我々に道を教えて頂けるなら、
我が王はきっと徳の深い君王と称えるでしょう。
と言った。そこで
久氐らに
東方に貴い国があることは聞いている。
しかし通ったことが無いので、その道は知らない。
ただ海は遠く浪は険しい。
大船に乗れば、なんとか通うことも出来るだろう。
もし船着き場があっても、船舶がなければかなわない。
と言った。
久氐らは
それならば今は通えないので、一度帰って船舶を用意した後に通りましょう。
と言った。また重ねて、
もし貴い国の使者が来ることがあれば、我が国にも伝えて欲しい。
と言って帰っていった、と。
斯麻宿禰は従者の
爾波移と卓淳の人過古の二人を
百済国に遣わして、
その王を慰労させた。
近肖古王は非常に喜び、近肖古王は珍宝を奉り、
斯麻宿禰と従者・爾波移、過古はそれをもって日本に帰還した。
『日本書紀(巻第九 神功皇后摂政四十六年三月乙亥朔条)』