小窓
甲子の宣

作成日:2023/9/17

甲子の年(かっしのせん) 西暦664年天智天皇3年)に行われた内政改革。

前年における白村江の敗戦によって、 朝鮮半島から全面的に撤退したのち、 大陸からの侵攻という危機感と、 対外政策の失敗を追及する諸豪族の動向とに対処して、 西暦664年2月、 大皇弟大海人皇子を政局の正面にたて、 内政改革の諸施策を発令した。

まず冠位十九階制を冠位二十六階制に改定して、 下級官僚の階数を増加するとともに、 諸氏を大氏、小氏、伴造らに区分し、 それぞれの氏上に、大刀小刀干楯弓矢を賜って、 諸氏を統率する象徴とした。 また「其」の民部家部を定めたが、 この「其」を諸氏と解する見方と、 特定のものをさす代名詞ではなく置き字と解する見方とがあるが、 ここでは諸氏をさすと理解するのが妥当であろう。

そして民部家部設定の意義については諸説が対立しているが、 現実に対処した私民的支配の復活であって、 次の段階に期待する屈伸政策とみるよりも、 広く残り続けた諸氏の私民的支配に、 国家権力による統制の手を加え、 その認定と登録とを行い、 次の段階での収公の前提にしたと理解すべきであろう。

この民部家部西暦670年天智天皇9年)の庚午年籍に登載され、 西暦672年天武天皇1年)の壬申の乱を経て、 西暦675年部曲(民部)は収公され、 家部律令制下の氏賤家人になって存続した。

そして「甲子の宣」による改革は、 白村江敗戦後の危機を回避し、 律令国家形成の一段階になった。