小窓
東京大空襲

作成日:2023/12/2

東京大空襲(とうきょうだいくうしゅう)

第二次世界大戦(太平洋戦争)末期にアメリカ合衆国により行われた、 東京都区部に対するM69焼夷弾などの焼夷弾を用いた大規模な戦略爆撃の総称。 日本各地に対する日本本土空襲、 アメリカ軍による広島・長崎に対する原爆投下、 沖縄戦と並んで、 東京の都市部を標的とした無差別爆撃によって、 市民に大きな被害を与えた。 爆撃被災者は約310万人、死者は11万5千人以上、 負傷者は15万人以上、 損害家屋は約85万戸以上の件数となった。
(疎開などによる住民避難などが始まる前の、1940年時点での東京市の人口は約680万人である)

東京都は、 西暦1944年昭和19年)11月24日から1945年(昭和20年)8月15日まで[5]、106回の空襲を受けたが、特に1945年(昭和20年)3月10日、4月13日、4月15日、5月24日未明、5月25日-26日の5回は大規模だった。

その中でも「東京大空襲」と言った場合、 死者数が10万人以上の西暦1945年昭和20年)3月10日の夜間空襲(下町空襲)を指す(78年前)。 この3月10日の空襲だけで、 罹災者は100万人を超え、 死者は9万5千人を超えたといわれる。 なお、当時の新聞報道では「東京大焼殺」と呼称されていた。