暦干支一覧小窓
作成日:2024/11/15
672年 弘文天皇を認めていない
『
日本書紀』は
弘文天皇(の
即位)を認めていないため、和暦表示は下記のようになる。
そのため、次のような事態が生じる。
- 弘文天皇の場合、即位年はともかく、崩御年が「天武天皇元年」となる。
- 天武天皇の即位年は「天武天皇2年」となる。
-
「天武天皇即位n年目」と表記する場合、1年づれる。
(「即位2年目」は「天武天皇3年」となる)
安政7年1860
1860年は「安政6年12月9日 - 安政7年3月17日」および「万延元年3月18日 - 万延元年11月20日」
万延2年1861
1861年は「万延元年11月21日 - 万延2年2月18日」および「文久元年2月19日 - 文久元年12月1日」
文久4年1864
1864年は「万延元年11月21日 - 万延2年2月18日」および「文久元年2月19日 - 文久元年12月1日」
元治2年1865
1865年は「元治元年12月4日 - 元治2年4月6日」および「慶応元年4月7日 - 慶応元年11月14日」
慶応4年1868
1868年は「慶応3年12月7日 - 慶応4年1月1日」および「明治元年1月1日(新暦1月25日) - 11月18日」
1912年 明治天皇の崩御当日に改元の詔書
明治天皇の崩御当日に改元の詔書
明治四十五年七月三十日以後ヲ改メテ大正元年ト為ス)を発した。
同日(7/30)は、「明治45年」であったが、「大正元年」に改められた。
そのため、
資料によって「明治45年は7月30日まで」の表記と「明治45年は7月29日まで」の表記がある。
しかし、このような詔書があるのなら「明治45年は7月29日まで」であろう。
年 あ