後漢(ごかん)
西暦25年 -
西暦220年
後漢は、
中国の古代王朝。
漢王朝の皇族劉秀(光武帝)が、
王莽に滅ぼされた漢を再興して立てた。
都は洛陽(当時は雒陽と称した。ただし後漢最末期には長安・許へと遷都)。
五代十国時代の後漢(こうかん)と区別するため、
中国では
東漢と言う(この場合、長安に都した前漢を
西漢という)。
後漢最後の皇帝となる献帝のころ、
曹操や劉備らが争う動乱の時代に入る。
曹操は後漢の軍人であった。
西暦220年、
曹操が66歳で病死すると、
その子の曹丕があとを継いだ。
曹操の傀儡であった献帝は曹丕に禅譲して後漢は滅びた。
献帝が殺害されたと誤った伝聞を受けて劉備は皇帝に即位し、
「漢」の正統な後継者を称した(蜀漢)。
西暦222年には孫権が曹丕の建国した魏から独立して呉を建国し、
以降三国時代に入る。