後三年の役(ごさんねんのえき)
西暦1083年(
永保3年)~
西暦1087年12月11日(
寛治元年11月14日)
後三年の役は、
前九年の役の最終局面で参戦して国府側勝利の原動力となり、
奥州の支配者となった清原氏の内紛に、
陸奥守を拝命していた源義家が介入して起きた戦いである。
戦いが終わったのは
西暦1087年12月11日(
寛治元年11月14日)であり、
負けた清原氏側は全て討ち取られて、
清原氏は滅亡した。
西暦1051年(
永承6年)~
西暦1062年(
康平5年)の「
前九年の役」と、
西暦1083年(
永保3年)~
西暦1087年(
寛治元年)の「
後三年の役」を合わせて、
「
奥州十二年合戦(おうしゅうじゅうにねんかっせん)」と呼ぶことがある
(『古事談』・『愚管抄』・『古今著聞集』などに記されている)。
各名称には9年、3年、12年と期間(年数)が記されているが、
全て間違っている。
これは後世、
史書からこの戦役に名称を与えた際の勘違いであろう。