小窓
後三年の役(ごさんねんのえき)

作成日:2023/3/15

後三年の役(ごさんねんのえき) 西暦1083年永保3年)~ 西暦1087年12月11日(寛治元年11月14日)

後三年の役は、 前九年の役の最終局面で参戦して国府側勝利の原動力となり、 奥州の支配者となった清原氏の内紛に、 陸奥守を拝命していた源義家が介入して起きた戦いである。
戦いが終わったのは西暦1087年12月11日(寛治元年11月14日)であり、 負けた清原氏側は全て討ち取られて、 清原氏は滅亡した。

西暦1051年永承6年)~西暦1062年康平5年)の「前九年の役」と、 西暦1083年永保3年)~西暦1087年寛治元年)の「後三年の役」を合わせて、 「奥州十二年合戦(おうしゅうじゅうにねんかっせん)」と呼ぶことがある (『古事談』・『愚管抄』・『古今著聞集』などに記されている)。
各名称には9年、3年、12年と期間(年数)が記されているが、 全て間違っている。 これは後世、 史書からこの戦役に名称を与えた際の勘違いであろう。