小窓
後一条天皇/後一條天皇(ごいちじょうてんのう、ごいちでうてんのう)

作成日:2020/6/12

後一条天皇は、日本の第68代天皇。 一条天皇の第二皇子。母は藤原道長女中宮彰子。同母弟に後朱雀天皇。

《紀》:日本書紀による記述  《記》:古事記による記述
日本の第68代天皇 後一条天皇/後一條天皇(ごいちじょうてんのう、ごいちでうてんのう)

[在位] 長和5年1月29日(西暦1016年3月10日)- 長元9年4月17日(西暦1036年5月15日)《紀》
[生没] 寛弘5年9月11日(西暦1008年10月12日)- 長元9年4月17日(西暦1036年5月15日)29歳没《紀》
[時代] 平安時代
[先代] 三条天皇
[次代] 後朱雀天皇
[陵所] 菩提樹院陵(ぼだいじゅいんのみささぎ)
[追号] 後三条院
[諱] 敦成(あつひら)
[父親] 一条天皇
[母親] 藤原 彰子(ふじわら の しょうし/あきこ)

年譜

天皇の系譜(第60代から第76代)
寛弘5年(西暦1008年)
9月11日(10月12日) 降誕於:土御門殿
寛仁2年(西暦1018年)
1月3日(1月22日) 元服
(西暦)
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長和5年(西暦1016年)
2月7日(3月18日) 即位礼
長和5年(西暦1016年)
11月15日(12月16日) 大嘗祭
長元9年(西暦1036年)
4月17日(5月15日) 崩御。於:清涼殿
長元9年5月19日(西暦1036年6月15日)
() 大喪儀
(西暦)
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(西暦)
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略歴

一条天皇の第二皇子。母は藤原道長女中宮彰子。その誕生の様子は「紫式部日記」に詳しく、道長にとって待望久しい外孫皇子出生はその後の一族の栄華の初花となる。

三条天皇の崩御(長和5年1月29日、1016年3月10日)により践祚、2月7日(3月18日)に数え8歳で即位。幼帝のため道長が摂政となり権勢を振るった。道長の娘で叔母にあたる威子を中宮とし、(外戚の地位を藤原氏御堂流以外に渡すまいという藤原頼通と母彰子の意向により)この時代には珍しく他の妃を持たず、皇子女は内親王二人のみで世継ぎの皇子には恵まれぬまま、数え29歳で崩御した。『栄花物語』によると飲水と痩身の症状の記載があり、糖尿病によるものと考えられている。突然の崩御であったため、譲位の儀式が間に合わなかった(『左経記』)とある。『日本紀略』や『今鏡』では遺詔により、喪を秘して弟の敦良親王への譲位(後の後朱雀天皇)の儀を行ったとされている[1]。これが、在位中に天皇が崩御した場合に喪を秘して譲位の儀を行い、その後に上皇としての葬儀が行われるようになった先駆とされる[2]

后妃・皇子女

陵・霊廟

陵(みささぎ)は、宮内庁により京都府京都市左京区吉田神楽岡町にある菩提樹院陵(ぼだいじゅいんのみささぎ)に治定されている。宮内庁上の形式は円丘。

また皇居では、皇霊殿(宮中三殿の1つ)において他の歴代天皇・皇族とともに天皇の霊が祀られている。


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