小窓
常陸国(ひたちのくに)

作成日:2023/3/11

常陸国(ひたちのくに)/ 常州(じょうしゅう) 現在の茨城県。

東海道の一国。 国力区分は大国、 遠近区分は遠国
『常陸国風土記』によれば、 もと新治 (にいばり) 、 筑波、那賀 (なか) 、 久慈、 多珂 (たか) の国があったといい、 『旧事本紀』にも国造(くにのみやつこ)として記されている。

「ひたち」とは太平洋の日の出に対しての名称で「日立ち」であり、 「日向 (ひむか) 」に通じるものであろう。
国名としては大化に始るものとみられる。 『常陸国風土記』は、 この国の地誌として多くの神話、 伝説を伝えている。

国府、 国分寺ともに石岡市にあり、 一宮は鹿島神宮。 『延喜式』には新治、 真壁、 筑波などの 11郡、 『和名抄』には 153郷、田4万 92町を載せている。 平安時代には大国として重視され、 天長3年(西暦826年)年には親王任国と定められ、 守は太守と称された。

鎌倉時代には源義光の子孫である佐竹氏がこの国の北部を、 南部には八田氏 (のちに小田氏) 、 中部には大掾氏の支配が続いた。

室町時代には佐竹氏が守護となり、 小田氏、 大掾氏を滅ぼして支配を広げたが、 関ヶ原の戦い後秋田に移封され、 そのあとは徳川家康の子頼房が 35万石で水戸藩を開き、 御三家の一つとして幕政に重きをなした。
ほかに土浦、笠間、牛久、下館などの諸藩と天領、旗本領もあった。

明治4年(西暦1871年)の廃藩置県後、 茨城県と新治県になり、 さらに 西暦1875年に茨城県に統合された。

赤:常陸国 緑:東海道。(Wikipediaのsvgファイルへリンク)