常陸国(ひたちのくに)/ 常州(じょうしゅう) 現在の茨城県。
東海道の一国。
国力区分は
大国、
遠近区分は
遠国。
『常陸国風土記』によれば、
もと新治 (にいばり) 、
筑波、那賀 (なか) 、
久慈、
多珂 (たか) の国があったといい、
『旧事本紀』にも国造(くにのみやつこ)として記されている。
「ひたち」とは太平洋の日の出に対しての名称で「日立ち」であり、
「日向 (ひむか) 」に通じるものであろう。
国名としては大化に始るものとみられる。
『常陸国風土記』は、
この国の地誌として多くの神話、
伝説を伝えている。
国府、
国分寺ともに石岡市にあり、
一宮は鹿島神宮。
『
延喜式』には新治、
真壁、
筑波などの 11郡、
『和名抄』には 153郷、田4万 92町を載せている。
平安時代には大国として重視され、
天長3年(西暦826年)年には親王任国と定められ、
守は太守と称された。
鎌倉時代には源義光の子孫である佐竹氏がこの国の北部を、
南部には八田氏 (のちに小田氏) 、
中部には大掾氏の支配が続いた。
室町時代には佐竹氏が守護となり、
小田氏、
大掾氏を滅ぼして支配を広げたが、
関ヶ原の戦い後秋田に移封され、
そのあとは徳川家康の子頼房が 35万石で水戸藩を開き、
御三家の一つとして幕政に重きをなした。
ほかに土浦、笠間、牛久、下館などの諸藩と天領、旗本領もあった。
明治4年(西暦1871年)の廃藩置県後、
茨城県と新治県になり、
さらに 西暦1875年に茨城県に統合された。