善光寺縁起(ぜんこうじえんぎ)
信州善光寺の起源や由来を伝える物語である。
平安時代末期には全国に広まっていた善光寺信仰のもとになったと考えられる。
善光寺の歴史や信仰を研究する上で欠かせないものであるが、
伝説的な内容も多いため、注意する必要がある。
一例として、善光寺縁起によれば善光寺如来は釈迦が生きている頃のインドで造られたことになっているが、
当時のインドには仏像を造って拝む習慣はなかった。
『善光寺縁起』自体の成立は、
平安時代後期に著述された歴史書『
扶桑略記』等に引用されていることから、
平安時代後期にさかのぼると考えられる。
それ以前のことはよくわかっていない。
鎌倉時代になると、
『平家物語』にも「善光寺炎上」の段が登場し、
その中で『善光寺縁起』が語られるなど、
広く世に知られるようになった。
また同じ時代には、
善光寺縁起を絵解きのための絵にした「善光寺如来絵伝」も登場している。
江戸時代になると、
出版文化の隆盛により「善光寺縁起」は出版されて世に広がった。
先に述べた「善光寺如来絵伝」による絵解きは、
善光寺信仰を宣伝する手段として中世から盛んに行われてきた。
近世には、善光寺が自ら前立本尊を奉じて各地に赴き、
開帳を行う「出開帳」も行われたが、
その中では善光寺縁起の絵解きも行われ、
絵縁起の講談とも呼ばれた。
一時は絶えかけていたこうした絵解き文化だが、
長野郷土史研究会などにより復活され、
現在もいくつかの寺院では善光寺縁起の絵解きが行われている。