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南北朝時代 (中国)

作成日:2024/8/11

南北朝時代(なんぼくちょうじだい)   西暦439年 - 西暦589年

中国史における南北朝時代は、 北魏が華北を統一した西暦439年から始まり、 隋が中国を再び統一する西暦589年まで、 中国の南北に王朝が並立していた時期を指す。

この時期、 華南には宋、斉、梁、陳の4つの王朝が興亡した。 こちらを南朝と呼ぶ。 同じく建康(建業)に都をおいた三国時代の呉、 東晋と南朝の4つの王朝をあわせて六朝(りくちょう)と呼び、 この時代を六朝時代とも呼ぶ。 三国時代・五胡十六国時代・南北朝時代を合わせて、 魏晋南北朝時代とも呼ぶ。

この時期、 江南(長江以南)の開発が一挙に進み、 後の隋や唐の時代、 江南は中国全体の経済基盤となった。 南朝では政治的な混乱とは対照的に文学や仏教が隆盛をきわめ、 六朝文化と呼ばれる貴族文化が栄えて、 陶淵明や王羲之などが活躍した。

また華北では、 鮮卑拓跋部の建てた北魏が五胡十六国時代の戦乱を収め、 北方騎馬民の部族制を解体し、 貴族制に基づく国家に脱皮しつつあった。 北魏は六鎮の乱を経て、 西暦534年に東魏、 西魏に分裂した。 東魏は西暦550年に、 西魏は西暦556年に、 それぞれ北斉、北周に取って代わられた。

西暦577年、 北周は北斉を滅ぼして再び華北を統一する。 その後、 西暦581年に、 隋の楊堅が北周の禅譲を受けて帝位についた。 西暦589年、 隋は漢族の南朝の陳を滅ぼし、 中国を再統一した。

普通は北魏・東魏・西魏・北斉・北周の五王朝を北朝と呼ぶが、 これに隋を加える説もある。 李延寿の『北史』が隋を北朝に列しているためである。

よみがな順で記載する。

年表

西暦784年允恭天皇10年)
  • あああ
  • (この年)
    • あああ

親族

祖父:   祖母:
父親:   母親:
皇后:
  • 第1皇子: