小窓
列車事故2000年代前半

作成日:2024/8/9

発生日付順に記載する。

2004/12/26:スリランカ津波列車事故

スリランカ津波列車事故   西暦2004年12月26日   死者:1,700人以上   負傷者:100人以上

西暦2023年1月時点で、 史上最多の死者を出したとされる列車事故である。 スリランカのコーストラインを走行していた満員の列車が、 スマトラ島沖地震によって引き起こされた津波に呑み込まれ、 1,700人以上が死亡し、100人以上が負傷した。

#50 マータラ・エクスプレス(#50 Matara Express)は、 コロンボ - ゴール間を運行する定期列車であった。

西暦2004年12月26日、 機関車の#591 マニトバ(#591 Manitoba)が牽引する列車はコロンボ・フォート駅を6時50分過ぎに出発した。 この時点で列車には、 運賃を支払った1,500人以上の一般の旅客に加え、 政府の旅行許可などを持ったその他の旅客(詳細な数は不明)が乗車していた。

地震発生後、 パレケルにあるスリランカの地震観測所は揺れを確認したが、 津波が陸地まで到達するとは考えなかった。

津波の報告を受けたマラダーナ駅の指令所は、 運行中だった8つの列車に停止するよう連絡したものの、 マータラ・エクスプレスへの連絡には失敗した。 アンバランゴダの駅では、 すべての駅員が列車側の手伝いをしており電話に出ることができず、 その先の駅の駅員は既に避難したか、 津波に飲まれて死亡していたためである。

2005/04/25:JR福知山線脱線事故

JR福知山線脱線事故   西暦2005年平成17年)4月25日
  死者:乗客と運転士合わせて107名   5負傷者:62名

JR福知山線脱線事故は、 西日本旅客鉄道(JR西日本)の福知山線(JR宝塚線)塚口駅 - 尼崎駅間で発生した列車脱線事故である。 なお、JR西日本では、 「福知山線脱線事故」ではなく「福知山線列車事故」と呼称している。 マスコミなどでは、「JR宝塚線脱線事故」や「尼崎JR脱線事故」などとも呼称される。 ...

西暦2005年4月25日(月)午前9時18分ごろ、 兵庫県尼崎市久々知にある福知山線塚口駅 - 尼崎駅間の制限速度70 km/h(キロメートル毎時)の右カーブ区間(曲率半径304 m。塚口駅の南約1 km、尼崎駅の手前約1.4 km地点、尼崎駅起点上り約1.805 km地点)を宝塚発JR東西線・片町線(学研都市線)経由同志社前行き上り快速(列車番号5418M、7両編成)が116 km/hで進入し、 その列車の前5両が脱線した。

脱線したうち前4両は、線路から完全に逸脱。 先頭の2両は線路脇の分譲マンション「エフュージョン尼崎」(西暦2002年竣工)に激突。 先頭車は1階ピロティ部の駐車場へ突入し、 2両目はマンション外壁へ横から激突しさらに脱線逸脱してきた3 - 4両目と挟まれて圧壊。 外壁にへばりつくような状態で、 1 - 2両目は原形をとどめないほどに大破した。 また、3 - 4両目は反対側の下り線路を支障していた。

事故列車は、 4両編成と途中の片町線(学研都市線)京田辺駅で切り離す予定だった3両編成を連結した7両編成で運転していた。 前から1・4・5・7両目の運転台のある車両に列車の運行状態(非常ブレーキ作動の前後5秒間)を逐一記録する「モニター制御装置」の装備があり、 航空・鉄道事故調査委員会が解析を行ったところ、 前から5両目(後部3両編成の先頭車両)と7両目に時速108 kmの記録が残されていた。 先頭車両が脱線、急減速した影響でジャックナイフ現象によって車列が折れ、 連結器部分で折り畳まれるような形になったために、 側面から玉突きになって被害が拡大した。

当時、事故車両の1両目は、片輪走行で左に傾きながら、 カーブ開始点付近の線路そば電柱に接触しマンション脇の立体駐車場と同スペースに駐車していた乗用車を巻き込むとともに左に横転、 マンション1階の駐車場部分へと突入し奥の壁に正面から激突した。 続く2両目は、急減速した1両目と後部車両の影響で左向きに回転し、 マンションに車体側面から建物に巻き付きへばり付く様な形で『く』の字型に大破。 3両目も同様に左向きに回転し、2両目と側面どうしで衝突するように停止。 最終的に元々の進行方向と前後が逆になる。 4両目は、回転した3両目に押し出されるようにして下り線(福知山方面)の線路と西側側道の半分を遮る状態でそれぞれ停止した。 5両目は僅かな脱線に留まった。また、6,7両目は脱線していない。

なお、事故発生当初、マンション駐車場に突入した1両目が目視できず、 2両目が1両目と誤認されていた。 のちに本来の車両数(7両)と目視で確認できる車両数(6両)が一致しないことから捜索され、 1両目が発見されたのは救助活動の開始からは遅れた。

駐車場周辺において電車と衝突して大破した車からガソリン漏れが確認されており、 引火を避けるためにバーナーや火花が散る電動カッターなどの重器具を使用することができず、 救助作業は難航した。 後部車両の撤去作業も平行して実施され、 被害者の救助作業は事故発生から3日後の4月28日まで継続した。

オーバーランの隠蔽
事故列車は、 直前の停車駅である伊丹駅で所定の停車位置を超過(オーバーラン)していた。 これについて、 事故が起きる前に運転士が車掌に対して「まけてくれへんか」とオーバーランの距離を短く申告するように打診し、 車掌が新大阪総合指令所(現・大阪総合指令所)に対して72 mのオーバーランを8 mと報告し、 JR西日本も当初車掌の証言通り8 mのオーバーランと発表していた。 このことから、 事故後にほかの路線や鉄道会社において発生した列車のオーバーランについても大きくクローズアップされた。
事故後
さらに、JR西日本が事故当日に行った発表の中で、 線路上への置石による脱線の可能性を示唆したことから、 愉快犯による線路上への置石や自転車などの障害物を置くといった犯罪も相次いだ。 事故後、現場の曲率半径304 mの曲線区間は制限速度70 km/hから60 km/hに、 手前の直線区間は120 km/hから95 km/hへとそれぞれ変更された。
二重事故の回避
事故発生と同時刻には、 並行する下り線に新大阪発城崎温泉行きの特急「北近畿3号」が接近中であった。 事故車両4両目が下り線を短絡したことにより、 事故現場付近の下り第一閉塞信号が停止現示、 手前の下り第二閉塞信号が注意現示となったため、 これを受けて北近畿3号運転士は列車を減速・停止させようとしていた。 さらに、事故を目撃した近隣住民が近くの踏切支障報知装置(踏切非常ボタン)を押したため、 特殊信号発光機が停止信号を現示。 運転士はこれを察知し、 同特殊信号発光機のおよそ40m手前に停止させたことで二重事故は回避された。 なお、運転士は停車後、防護無線を発報している。

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