木村鈴四郎(きむら すずしろう)
西暦1886年 -
西暦1913年3月28日(27歳)
徳田金一 (とくだ きんいち)
西暦1885年3月25日 -
西暦1913年3月28日(28歳)
木村鈴四郎と徳田金一は、
日本航空史上で最初の航空機事故の犠牲者(陸軍航空史上初の殉職者)。
最終階級は二人とも陸軍中尉であった。
木村中尉は石川県出身で、陸軍砲兵科より第一期飛行術練習生として航空畑に転身。
一方の徳田中尉は山口県出身で、
同様に歩兵から航空畑に転身し、
ともに陸軍航空の若手のホープといえる人材であった。
しかし、
二人は
航空機事故で若くして亡くなってしまった。
事故が起きたのは
西暦1913年3月28日で、
所沢飛行場に向かってブレリオ11-2bis(フランスからの輸入機で両中尉が同乗)で飛行していたところ、
突然の横風に煽られて左翼を破壊され(上方に向かって折れ曲がったといわれている)、
機体は垂直に墜落。
当日は、青山練兵場で貴族院・衆議院をはじめ、
陸海軍大臣や政府関係者を招いて観覧飛行が行われており、
その飛行展示に成功を収めた後の、
帰路のこと。
木村鈴四郎享年27歳、
徳田金一享年29歳。