事故発生日:
西暦2007年8月20日
便名:チャイナエアライン 120便(機体記号:B-18616)
機種:ボーイング 737-809
死者:なし(乗員8人乗客157人、合計165人の内3人が負傷。他、地上の警備員1人が負傷)
状況:
チャイナエアライン120便炎上事故とは、
西暦2007年8月20日に沖縄県那覇市にある那覇空港で発生した航空事故である。
台湾(中華民国)の台湾桃園国際空港発那覇空港行きのチャイナエアライン(CI/CAL)120便が、
那覇空港到着直後にエンジンから出火し爆発、炎上した。
事故機には乗員・乗客165名が乗っていたが、
火災が広がる前に全員が脱出したため、
機体は全焼したが死者や重傷者は出なかった。
...
(以下、時刻表記は日本標準時である)
チャイナエアライン CAL120便は、
午前10時27分に那覇空港滑走路18に着陸後、
41番スポットまで
タキシングしたが、
その途中で機体右側の第2エンジンから煙が出ているのを管制官が目撃した。
また地上にいた整備士は41番スポット到着前に第2エンジンの外側の主翼の付け根付近から燃料が漏れているのを確認。
整備補助者に「燃料だ」と伝えた。
直後にエンジン後方で地面に漏れた燃料に火が付いたのを視認し、
機首に向かって走り操縦席の前方で両手を動かし「エバキュエーション」(脱出)のジェスチャーを取った。
ランプ・コーディネーターは整備補助者の指差した先のジェット燃料の漏れおよび出火を視認しハンディ無線機(空港無線電話機)にて消火を要請した。
整備補助者はエンジン停止後、
前輪の車輪止めをセットし機体のインターホンをONにした後、
主脚の車輪止めをセットしようと第2エンジンの空気取入口近くまで接近したところ爆発音とともに炎を視認し、
一旦接近指示を出していた燃料補給車・ベルトローダーを下がらせ、
機体左側ドアに接舷していたステップカーも下がらせた。
その後インターホンにて機長に第2エンジンの出火を通報し消火と緊急脱出とを要請した。
機体は午前10時31分57秒に41番スポットに停止し、
10時32分00秒に両エンジンを停止している。
しかしながら乗客の緊急脱出中に漏出した燃料が激しく炎上し、
3度にわたり爆発した。
事故調査報告書によると第2エンジンの出火時刻は午前10時32分53秒ごろと推定されている。
火は地上に流れ出た燃料に燃え広がった後、
風下にあたる機体左側にも燃え移り、
機体全体が爆発・炎上した。
飛行場を管理する航空自衛隊那覇基地は所属消防小隊を出動させ破壊機救難消防車で消火にあたった。
そのほか空港内の航空局消防隊、
管轄の那覇市消防本部、
さらに浦添市、糸満市、豊見城市、東部消防組合、島尻消防・清掃組合の各消防本部からも消防隊が出動し、
火はおよそ1時間後の午前11時37分に消し止められたが、
機体は大破しほぼ全焼した。
乗客は全員が機外へ脱出し死者は出なかった。
脱出に要した時間については国際基準である「90秒ルール」は守られたということにはなっているものの微妙な食い違いがあり、
正確な時間は不明である。
チャイナエアラインは60秒としているが、
国土交通省の報告は約2分としている。
爆発時まで機内に残っていた運航乗務員2名のうち、
副操縦士はコックピットの左の窓からの脱出を試みたが既に炎が強く、
右の窓から身を乗り出したところでためらい、
その後に起きた爆発のショックを受けて地面に落下した。
最初の爆発の際、
操縦席は爆風の直撃を免れており、
直後に機長も飛び降りた。
このような際どい場面もあった他、
乗客の男性と女児が脱出後に気分が悪くなり計3名が脱出後に病院に搬送され、
また自力で病院に行った者等が4名いた。
これら計7名はいずれも軽症だった。
また客室乗務員1名が爆風で転倒し、
事故発生時現場に居合わせた地上の整備員1名が負傷した。
地上業務をチャイナエアラインから委託されていた日本航空(以下JAL)系列の日本トランスオーシャン航空 (JTA) やその他のJAL系列会社の地上職員が脱出の手助けを行った。
なお避難した乗客乗員は国際線ターミナルビル・国内線ターミナルビルへと分かれて避難したため那覇市消防による機内捜索が11時00分から29分にかけて3回行われた。
中華航空職員が乗客乗員全員の無事を確認したのは午前11時33分であり、
消火活動開始前に退避を完了していた。
また、機長は避難誘導の機内アナウンスを行わず、
直接乗務員に避難を指示させた。
これについて機長本人は適切な判断だったとしているが、
日本のマスコミは誘導方法として問題があると評した。
この事故を受けて那覇空港は一時滑走路が閉鎖されたが、
事故当日の午前11時頃までに規制は解除された。
事故発生の際、
那覇空港事務所が那覇市消防本部への119番通報を失念していたことが後日判明し、
そのため近くの瀬長島にいて事故を目撃した非番職員によって那覇市消防本部に初めて連絡が入り、
消防が出動している。