事故発生日:
西暦1986年11月6日
便名:1) パンアメリカン航空 301便(機体記号:N4743)乗員6人乗客17人。合計23人。
2) 自家用機(機体記号:N2185P)乗員1人。
機種:1) ボーイング 727-235
2) パイパー PA-23-150
死者:自家用機のパイロットが死亡
状況:
パンアメリカン航空301便地上衝突事故は、
西暦1986年11月6日にアメリカ合衆国のタンパ国際空港で発生した航空事故である。
離陸のため誘導路を走行していたパンアメリカン航空301便に、
着陸してきた個人所有のパイパー PA-23-150が衝突し、
PA-23のパイロットが死亡した。
...
事故前日の21時頃、
PA-23のパイロットは翌日のタンパ国際空港の天候をフライト・サービス・ステーションに電話して聞いた。
この時にパイロットが得た情報では、
視程は4.8km程度と予報されていたが、
予報は夜半に2度修正され、
4時20分の最新の予報では視程は200mとなっていた。
しかしPA-23のパイロットは出発前に新しい予報を聞いていなかった。
事故当日の6時12分、PA-23はパイン・シャドーズ飛行場を離陸し、
タンパ国際空港へ向かった。
6時40分、管制官は進入許可を与えた。
6時47分、PA-23は進入復航を行い、
パイロットは管制官に「もう一度試したい」と告げた。
この時点で視程は
1,000フィートまで低下していた。
6時58分、PA-23は2度目の進入を開始した。
7時01分、
パンアメリカン航空301便は滑走路35Lへ向けて
タキシングを開始した。
301便が誘導路W-2を走行中、霧の中からPA-23が真っ正面に現れた。
301便の機長はブレーキをかけると共に機体を右に向け、
衝突を回避しようとした。
PA-23は301便の左前方部に衝突し、
機体の下を通り抜けて炎上した。
国家運輸安全委員会(NTSB)が事故調査を行った。
最終報告書では、
事故原因としてPA-23のパイロットが地上を目視できない状態で着陸を強行した結果、
誤って誘導路に着陸し、301便と衝突したと推定された。
PA-23のパイロット、
すなわちイースタン航空の機長は
西暦1981年に乗務に遅刻し、
その便を遅延させたことがあった。
そのとき、再発防止のための是正処置を取るようにと勧告されていた。
再度遅刻すると懲罰を受けてしまう期間は3年で事故時には期間を過ぎていたが、
この事を機長は知らなかった。
そのため、機長は遅刻を絶対に出来ないと思い込んでおり、
これが着陸を強行させた心理的要因と推定された。
また、事故当時に301便のパイロットは着陸灯を点灯させていなかった。
着陸灯を点灯させないことは規則違反ではかったが、
PA-23が衝突を回避するのに役立った可能性が指摘された。
空港当局は、301便の機長が一連の回避操作を行ったため、
大惨事が避けられた可能性があると述べた。
301便の副操縦士は衝突の直前、PA-23が機首をあげ、
わずかに左に傾いていたため、
回避操作を行っていた可能性があると話した。
管制官とパイロットの会話を聞いていた空港職員は、
パイロットが「大変だ」と叫んでいたと証言した。
また、管制官がPA-23の着陸を認めていなかったとも証言した。
これに対して
FAAのスポークスマンは着陸の許可は与えられていたと否定した。