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航空機事故詳細

作成日:2025/9/13

事故発生日:西暦1986年11月6日
便名:1) パンアメリカン航空 301便(機体記号:N4743)乗員6人乗客17人。合計23人。
   2) 自家用機(機体記号:N2185P)乗員1人。
機種:1) ボーイング 727-235
   2) パイパー PA-23-150
死者:自家用機のパイロットが死亡
状況:パンアメリカン航空301便地上衝突事故は、 西暦1986年11月6日にアメリカ合衆国のタンパ国際空港で発生した航空事故である。
離陸のため誘導路を走行していたパンアメリカン航空301便に、 着陸してきた個人所有のパイパー PA-23-150が衝突し、 PA-23のパイロットが死亡した。 ...
事故の経緯
事故前日の21時頃、 PA-23のパイロットは翌日のタンパ国際空港の天候をフライト・サービス・ステーションに電話して聞いた。 この時にパイロットが得た情報では、 視程は4.8km程度と予報されていたが、 予報は夜半に2度修正され、 4時20分の最新の予報では視程は200mとなっていた。 しかしPA-23のパイロットは出発前に新しい予報を聞いていなかった。 事故当日の6時12分、PA-23はパイン・シャドーズ飛行場を離陸し、 タンパ国際空港へ向かった。 6時40分、管制官は進入許可を与えた。 6時47分、PA-23は進入復航を行い、 パイロットは管制官に「もう一度試したい」と告げた。 この時点で視程は1,000フィートまで低下していた。 6時58分、PA-23は2度目の進入を開始した。

7時01分、 パンアメリカン航空301便は滑走路35Lへ向けてタキシングを開始した。 301便が誘導路W-2を走行中、霧の中からPA-23が真っ正面に現れた。 301便の機長はブレーキをかけると共に機体を右に向け、 衝突を回避しようとした。 PA-23は301便の左前方部に衝突し、 機体の下を通り抜けて炎上した。
事故調査
国家運輸安全委員会(NTSB)が事故調査を行った。 最終報告書では、 事故原因としてPA-23のパイロットが地上を目視できない状態で着陸を強行した結果、 誤って誘導路に着陸し、301便と衝突したと推定された。

PA-23のパイロット、 すなわちイースタン航空の機長は西暦1981年に乗務に遅刻し、 その便を遅延させたことがあった。 そのとき、再発防止のための是正処置を取るようにと勧告されていた。 再度遅刻すると懲罰を受けてしまう期間は3年で事故時には期間を過ぎていたが、 この事を機長は知らなかった。 そのため、機長は遅刻を絶対に出来ないと思い込んでおり、 これが着陸を強行させた心理的要因と推定された。

また、事故当時に301便のパイロットは着陸灯を点灯させていなかった。 着陸灯を点灯させないことは規則違反ではかったが、 PA-23が衝突を回避するのに役立った可能性が指摘された。
事故後
空港当局は、301便の機長が一連の回避操作を行ったため、 大惨事が避けられた可能性があると述べた。 301便の副操縦士は衝突の直前、PA-23が機首をあげ、 わずかに左に傾いていたため、 回避操作を行っていた可能性があると話した。 管制官とパイロットの会話を聞いていた空港職員は、 パイロットが「大変だ」と叫んでいたと証言した。 また、管制官がPA-23の着陸を認めていなかったとも証言した。 これに対してFAAのスポークスマンは着陸の許可は与えられていたと否定した。