710便は、
イリノイ州シカゴからスプリングフィールドを経由してカーボンデールへ向かう国内定期便だった。
事故当時、スプリングフィールドの天候は良かったが、
カーボンデール付近は雷雨だった。
経由地のスプリングフィールド空港に到着したのCDT20時05分で予定より約45分遅れていた。
20時20分、710便はスプリングフィールド空港を離陸した。
その1分後、パイロットは軽度の電気的な問題があると報告し、
管制官は
3,000フィートを維持するよう指示した。
また、管制官は空港に引き返す必要があるか尋ねたが、
パイロットは引き返さない旨を伝えた。
副操縦士は「左の発電機は0Aで、右の発電機は27Aだがオンラインにならない」と機長に伝えた。
20時27分、
機長は有視界飛行での飛行を行うため
2,000フィートへの降下を要請した。
管制官は
2,000フィートではレーダー上で機影を確認できなくなるため、
この要請を却下した。
離陸の約20分後、
パイロットは機内の余分な照明を消してバッテリーにかかる負荷を減らそうとしたがバッテリーの消耗は続き、
最終的に飛行計器と無線機器が使用不能となった。
20時49分、管制官は周波数の変更をパイロットに求めたがこれが710便との最後の交信となった。
この2分後には管制官のレーダー上から機影が消失した。
20時52分、機長は
2,400フィートまでの降下を決断し、
副操縦士に高度の監視を頼んだ。
副操縦士は懐中電灯を用いてコックピット内を照らした。
710便の残骸はイリノイ州ピンクニーヴィルの北東11km地点の牧草地で発見された。
残骸は
0.5海里に渡って散乱していた。
事故により搭乗していた10人全員が死亡した。
警察に墜落事故の発生を通報したジョン・フィッシャーとその妻は建物の上空を旋回している音を聞き、
2度目に聞こえたときには閃光が見え、大きなノイズも聞こえたと話した。
現場で捜索に当たった現地の警察官は残骸は粉々になっており、
薄い金属板のようだったと話した。
エア・イリノイはパイロットが不時着を行おうとしていた可能性があると述べた。
機体は尾根に接触したため両主翼が脱落し、
胴体部の残骸は再び浮き上がって付近の池まで飛散した。
西暦1985年3月に
NTSBは最終報告書を発行し、
両発電機からの電力が失われたにもかかわらず機長が飛行を継続すると決定したことによって墜落が引き起こされたと結論づけた。
機長のこの決定は自身による心理的な影響を受けたためであり、
これが誤ったリスク評価とバッテリーの性能評価を招き、
飛行継続を決断させた。
また、航空会社が適切な訓練を実施せず、
FAAがこれを保証出来なかったことが事故要因としてあげられた。
これらは誤ったバッテリーの性能評価やパイロットが迅速な対応を取れなかったことに寄与したとされた。
この最終報告書を受けて
NTSBのパトリシア・A・ゴールドマン副会長は「訓練と監視についての項目を推定原因に含めると、事故の根本的な原因とそれに伴う教訓が曖昧になってしまう」との声明を出した。