1980年6月27日、イタビア航空870便はDC-9-15(アメリカ合衆国製双発ジェット機、機体記号:I-TIGI)によって運行されるイタリア国内線としてボローニャからパレルモに向っていた。
管制レーダーで捕らえられた870便の軌跡の再現
現地時間の午後9時ごろ、高度25000フィート(約7620メートル)を巡航中に
航空管制のレーダースクリーンに870便に向う未確認飛行物体が確認された後、ウスティカ島の北東25kmのティレニア海に墜落した。この事故で乗員乗客81名が死亡し、機体の残骸は水深3700メートルに沈んだ。捜索隊は犠牲者38人の遺体を収容したほか、機体の残骸も回収したが、事件をめぐり長年に渡り論争が繰り広げられた。
870便が墜落した原因について、パイロットから異常を知らせる通信がなかったことや、直前に未確認飛行物体が確認された(後にリビア軍所属のミグ23戦闘機がイタリアを防空侵犯していること、さらにこれを追跡していたイタリア空軍機とリビア軍機がいたことが判明)ことから、単純な航空事故ではなく、なんらかの破壊活動があった事件であるとの各説が報道された。
870便の機内に仕掛けられた時限爆弾が炸裂したために墜落した「テロ説」のほか、レーダーで確認されていた未確認飛行物体が870便に衝突したため墜落したとの報道があった。この後者の未確認飛行物体の正体は、リビア軍機に対して発射した空対空ミサイルであるとする説が報道され、当事者としてイタリア空軍などが名指しされた。イタリア国内での裁判においてもこの説を公式的に取り上げた[1][2]。
その後、フランスの協力で機体の65パーセントに相当する残骸とフライトレコーダーが回収された。そのうちフライトレコーダーは動力の停止以降の記録がなかったため役に立たなかったが、残骸の解析により機内で何らかの爆発が起きた痕跡が確認された。この爆発の原因について、機内に仕掛けられた爆発物によるテロ、もしくは空対空ミサイルによる誤射のいずれかであるかが論争になった。
墜落原因についての推論が錯綜したが、
確定にはいたらなかった。
その後、
誤射が行われたとしてイタリア空軍の幹部が起訴されたが、
西暦1997年になって事故調査委員会は「原因不明の機内の爆発があった」と断定、
西暦2007年には同空軍の無罪が確定している。
一方でイタリアの裁判所は事故調査委員会の報告書を軽視し、
西暦2013年1月28日、
空対空ミサイルの命中によって機体が爆発し墜落した可能性が最も高いとの判断を下した。
しかし、
870便の墜落に対し何らかの陰謀があるため真相が明らかにならないとする陰謀説まがいの指摘が現在もなされている。
これは航空管制官などが「不審な」急死や自殺をしたことを挙げているが、
実際のところ陰謀があったか否かは確認されたものではない。
870便の残骸は、
西暦2007年に犠牲者81人を偲ぶモニュメントとともにモックアップ復元されて展示されている。
イタリアの作曲家(現ヴェルディ音楽院院長)アレッサンドロ・メルキオーレはこの事件に基づくオペラを上演している。