事故発生日:
西暦1980年4月25日
便名:ダン・エア 1008便(機体記号:G-BDAN)
機種:ボーイング 727-46
死者:乗員8人乗客138人。合計146人全員が死亡
状況:
ダン・エア1008便墜落事故は、
西暦1980年4月25日にテネリフェで発生した航空事故である。
ダン・エア1008便はマンチェスターとテネリフェを結んでいたチャーター機で、
この事故は誤った
ホールディングパターンを行っていた事故機がテネリフェのラ・エスペランサ山に激突し発生したものである。
この事故により乗客乗員146人全員が死亡した。
なお、
事故機はかつて日本航空が所有していた「たま号」で、
東亜国内航空を経てダンエアが購入していた。
...
1008便はイギリスのマンチェスター空港とカナリア諸島のテネリフェ・ノルテ空港を結んでいたチャーター便であった。
1008便には
VOR/DMEの'TFN'ビーコンから
14 nmi (26 km;
16 mi)の地点でRWY12への着陸のために'FP'ビーコンへ進むよう管制から指示が出た。
1008便はFL 110(
11,000 ft)からFL 60(
6,000 ft)へ降下した後にTFN地点に到達したと報告したが、
その際に管制からはFP地点付近で
ホールディングパターンに入るよう指示が出た。
この地点での待機は正式なものではなく、
クルーが持っていた航路図にも描かれていなかったが、
クルーは指示を受諾した。
だが実際には1008便はFP地点上空を通過しておらず機体はFPの南を飛行していた。
待機指示の1分後には
5,000 ftへの降下許可が出た。
機長は現地の航空管制官の指示通りに待機パターンに入ったと伝えていたが、
実際には少なくとも最低安全高度が4,400 mの高地がある南東方面へと左旋回してしまった。
降下中に飛行機の
GPWSが作動し、
クルーはすぐに右上に回避行動を取ったが、
現地時間13時21分15秒にラ・エスペランサ山地(標高1,523m)の中腹に衝突した。
衝撃で乗客乗員全員が死亡し、
350 m以上に渡り機体の残骸が散乱した。
スペインの当局が行った事故調査の結果、
機長が自身が飛んでいた高度を顧みなかった結果危険な高度を飛んだ事による事故と結論付けられた。
一方で、
イギリス側は
補遺で航空管制官から出された曖昧且つ遅れた指示が機長の方向感覚喪失に寄与したと結論付けた。
またこの
補遺では先述の非公式な
ホールディングパターンは事故機のような旅客機には到底曲がれないような厳しい旋回をするものとなっており、
仮に1008便が引き起こした
パイロットエラーが無くても航空機は事故発生地域に飛んでしまうとした。
更にこの
補遺ではこの
ホールディングパターン">ホールディングパターンでは1008便に指示された高度
5,000フィートは不適切であるとし、
最低でも
7,000フィート上空でないといけないとした。
事故機の出発地であるマンチェスターのサザン墓地には、
この事故の犠牲者を悼む記念碑が建てられ、
犠牲者の名前が刻まれている。
また、犠牲者の中には地元の聖公会教徒も含まれていた事から、
テネリフェのプエルト・デ・ラ・クルーズのタオロ・パルケにある全聖人教会にもこの事故の祈念公園が作られている。