事故発生日:
西暦1976年9月9日
便名:1) アエロフロート 7957便(機体記号:CCCP-46518)乗員5人乗客47人。合計52人。
2) アエロフロート 31便 (機体記号:CCCP-87772)乗員5人乗客47人。合計52人。
機種:1) アントノフ An-24RV
2) ヤコヴレフ Yak-40
死者:両機の乗員乗客70人全員が死亡。
状況:1976年アナパ空中衝突事故は
西暦1976年9月9日に発生した航空事故。
ホメリ空港発ソチ国際空港行きのアエロフロート7957便とアエロポルト・ロストフ・ナ・ドヌー空港発ケルチ空港行きのアエロフロート31便が、
管制官のミスにより黒海上空で空中衝突し、両機の乗員乗客70人全員が死亡した。
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事故の経緯
アエロフロート31便(ヤコヴレフ Yak-40)は、
モスクワ時間の12時47分にアエロポルト・ロストフ・ナ・ドヌー空港を離陸しケルチ空港へ向かった。
13時30分に
18,800フィートで水平飛行に移った。
13時34分に31便は、
無指向性無線標識のNovodmitrievskayaを通過した。
この標識通過後に、
飛行計画では降下を開始する予定だったが、
空域が混雑しており管制官が指示を出すことを失念した。
そのため、機体はそのまま
18,800フィートを飛行した。
13時43分に、
31便はGelendzhikを
18,800フィートで通過したと管制官に報告したが、
管制官は高度の変更を指示しなかった。
一方、7957便(アントノフ An-24RV)は、
12時56分にドネツィク国際空港を離陸し、
13時32分に
18,800フィートへの上昇を許可された。
7957便は、クラスノダール地方西部の空域に
18,800フィートで進入すると管制官に伝えた。
管制官はこれを許可し、Dzhubgaへ向かうことを指示した。
モスクワ時間の13時51分に、
31便と7957便は
18,800フィート上空で空中衝突した。
衝突により、両機ともに機体尾部を失い、
空中分解し、黒海に落下した。
7957便の残骸や乗客の遺体は海中から発見されたが、
31便の残骸や遺体はほとんど発見されなかった。
事故原因
事故原因の大部分は、
無線交信によるものだと結論付けた。
航空管制官が、両機に適切な指示を与えなかった。
また、要因としてパイロット達の状況分析や機外の監視が不十分だったことがあげられた。