事故発生日:
西暦1976年4月5日
便名:アラスカ航空 60便(機体記号:N124AS)
機種:ボーイング 727-81
死者:乗員7人乗客43人。合計50(57?)人中1人が死亡。
状況:アラスカ航空60便オーバーラン事故は、
西暦1976年4月5日にアラスカ州で発生した航空事故である。
ジュノー国際空港からシアトル・タコマ国際空港へ向かってアラスカ航空60便が経由地のケチカン国際空港への着陸時に滑走路をオーバーランした。
乗員乗客50人中1人が死亡した。
...
事故の経緯
PST7時38分、60便はジュノー国際空港を離陸した。
60便はジュノー国際空港からケチカン国際空港を経由してシアトル・タコマ国際空港へ向かう定期旅客便だった。
8時05分、管制官は60便にケチカン国際空港への進入を許可した。
8時11分、パイロットは
10,000フィートを降下中と報告し、
滑走路11への
ILS進入を開始した。
事故当時、空港付近では雪が降っており、霧も出ていた。
4,000フィート付近で地表を視認したため、
機長は視認進入で着陸することに決めた。
60便は
145ノットで滑走路11に着陸した。
着陸後、機長はブレーキの効きが悪いと感じ、
着陸復航を試みた。
スポイラーは格納され、フラップは25度に設定された。
しかし、逆推力装置は格納できなかった。
そのため、機長は再びスポイラーを展開し、機体を停止させようとした。
60便はオーバーランし、
滑走路端から
700フィート地点の渓谷で停止した。
事故によりオレゴン州在住の85歳の女性が死亡したほか、
乗員5人と乗客27人が重傷を負い、17人が軽傷を負った。
コックピットクルー3人は全員重傷を負い、シアトルへ緊急搬送された。
事故調査
国家運輸安全委員会(NTSB)が事故調査を行った。
目撃者たちは60便の着陸は通常よりも早い速度だったと証言した。
ケチカン国際空港の滑走路11へ着陸する際の推奨速度はフラップ40度では
117ノット、
フラップ30度では
121ノットであった。
着陸時にフラップが何度に設定されていたかは判明しなかったが、
どちらの場合にしても60便は推奨速度よりも速い速度で着陸したことが判明した。
国家運輸安全委員会(NTSB)は最終報告書で機長のミスを指摘した。
最終進入が不安定だったため、機体は滑走路に高速で着陸した。
加えて、着陸復航を決断したタイミングも不適切であった。
また、
国家運輸安全委員会(NTSB)は事故の要因として機長が
ILS進入から視認進入に切り替えたことを挙げた。
その他、機長が低血糖状態だったことも事故に寄与したとされた。