事故発生日:
西暦1976年3月23日
便名:大洋航空(機体記号:JA3551)
機種:パイパーPA-28-140(機体番号:JA3551)
死者:操縦者(俳優の前野光保)は死亡、同乗者なし、児玉誉士夫邸に勤務していた家政婦1人が火傷。
状況:児玉誉士夫邸セスナ機特攻事件(児玉誉士夫邸セスナ機自爆事件とも)は、
西暦1976年3月23日、
児玉誉士夫の私邸に小型航空機が突入した自爆テロ事件(乗物による突入攻撃)である。
3月23日午前9時50分頃、
児玉(当時65歳)の私邸(東京都世田谷区等々力6丁目29番20号[1])に、
前野霜一郎(本名:前野光保、当時29歳)が操縦するPA-28-140型機が突入し爆発炎上。
前野は機内から黒焦げの死体で見つかった。
事件発生当時、児玉は2階奥の8畳間にいたが、
棟違いで突入現場から20メートル離れており、
太刀川恒夫秘書(東京スポーツ新聞社会長)に背負われて1階仏間に避難、無事だった。
しかし、家政婦一人が火傷を負っている。
...
JA3551機は、セスナ172M型機(機体記号:JA3732)とともに調布飛行場から午前8時50分に離陸していた。
JA3732機には機長とカメラマンら3人が搭乗しており、
両機は直前まで編隊飛行をしつつ新宿上空でJA3551機の写真撮影を行っていた。
小型機は、児玉邸南側から飛んできて、上空で約10回旋回し、
庭の白樺や樫の木の頭を断ち切って、
児玉邸の玄関の屋根と2階の一部に激突した。
このため1階の玄関、
踊り場や2階部分の茶室を全焼。
居間と応接間などを半焼し、
約80平方メートルを焼いて午前10時20分頃消えた。
児玉が経営する企業の役員を務めていた日吉修二は、
「私が行ったときはまだ飛行機が庭先に突っ込んでいて、
操縦士というか何とかさん特攻隊の真似をして、
そのままうつ伏すように死んでる奴を見た」と話した。