事故発生日:
西暦1972年1月7日
便名:イベリア航空 602便(機体記号:EC-ATV)
機種:シュド・アビアシオン SE-210 カラベル VI-R
死者:乗員6人乗客98人。合計104人全員が死亡。
状況:バレンシア空港からイビサ空港へ向かっていたスペイン国内線のイベリア航空602便が最終進入中に滑走路手前の山に墜落し、
乗員乗客104人全員が死亡した。
この事故は当時、カラベルで発生した事故としては最悪のものであり、
スペインで発生した航空事故としても2番目に死者数の多い事故だった。
事故原因はパイロットが有視界飛行での着陸進入中に最低降下高度を遵守しなかったことだとされた。
事故後、アタラヤサ山付近のSes Roques Altesに追悼碑が建てられた。
602便はバレンシア空港からイビサ空港へ向かう国内定期旅客便だった。
機長は37歳の男性で総飛行時間は7,000時間程だった。
搭乗していたのは6人の乗員と98人の乗客で、
乗客のほとんどは年末年始をバレンシアへ帰省し、
イビサへ帰る労働者だった。
また、乗客にはアメリカ人とドイツ人が1人ずつ含まれていた。
602便がサン・ジュゼブ・ダ・サ・タラヤ付近の海岸を通過中、
14,000フィート を通過したと報告した。
しかし、
この時の実際の高度は
12,000フィートだった。
パイロットは現地時間12時15分頃、
機長はイビサ空港の管制官と交信し、
5,500フィートまでの降下許可を求めた。
管制官によれば、
このとき機長は「ビールを用意してくれ、私たちはここにいる(Get me a beer ready, we are here)」と言った。
滑走路07へ進入中、
機体は
2,000フィート以下まで降下していた。
しかし、機長と副操縦士は管制官とサッカーの試合について話し込んでおり、
危険なほど機体が降下していることに気づかなかった。
602便は標高
1,515フィートのアタラヤサ山に激突し、
機体は2つに分断された。
機体前方部は山の反対側の斜面に滑り落ちた。
機影がレーダーから消えたとき、
管制官は墜落地点を海上だと誤解した。
そのため捜索活動は海上を中心に行われた。
しかし、地元住民の1人が霧のなか山へ降下していく602便を目撃していた。
捜索隊が現場へ到着したが、
生存者は居なかった。