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航空機事故詳細

作成日:2025/6/22

事故発生日:西暦1970年10月2日
便名:ゴールデンイーグル航空 108便(機体記号:N464M)
機種:マーチン4-0-4
死者:乗員3人乗客37人、合計40人のうち、乗員2人乗客30人、合計32人が死亡した。
状況:西暦1970年10月2日午後1時、 アメリカ・カンザス州ウィチタ発同国コロラド州デンヴァー経由同国ユタ州ローガン行きゴールデンイーグル航空(Golden Eagle Aviation)108便マーチン4-0-4が、 巡航中にコロラド州シルバー・プルームの西約17kmの地点に墜落した。
この事故で乗員3人乗客37人、合計40人のうち、乗員2人乗客30人、合計32人が死亡した。 ...
事故機は、ウィチタ州立大学のフットボールチームとスタッフをユタ州ローガンまで運ぶためにジャック・リチャーズ航空機会社(Jack Richards Aircraft Company)がGolden Eagle Aviationからチャーターした2機のマーチン4-0-4のうちの1機であった。 両機とも運航乗務員はゴールデンイーグル航空(Golden Eagle Aviation)の乗務員であり、 事故機の副操縦士はゴールデンイーグル航空(Golden Eagle Aviation)の社長が勤めた。

両機はオクラホマ州オクラホマシティーからフェリーされた後、 カンザス州ウィチタで乗客を搭乗させ、 給油のための経由地デンヴァーに向けて出発した。 事故機がデンヴァーに向けて巡航中に副操縦士が客室を訪れた際に、 数名の乗客がデンヴァーからローガンを飛行する際は、 景色の良いルートを飛行してはどうかと助言をした。 事故機がデンヴァーに到着したのは午前11時19分頃であり、 両機は給油などのサービスを受けた。

その間、事故機の副操縦士は景色の良いルートを検討するためにこのセクションの航空路図を数枚購入した。 もう1機のマーチン4-0-4であるN470Mは、 事前に予定していたフライトプラン通りにデンヴァーに向けて離陸した。

事故機は副操縦士がパイロットフライングとして左席に座り、 午後0時29分、デンヴァー・ステープルトン国際空港を離陸した。 事故機は谷に抜けるために僅かに南に旋回し航空路を外れた。 事故機はUSハイウェー6のやや南をハイウェーに沿いにラブランド・パス(Loveland Pass)に向けてジョージタウン(Georgetown)とシルバー・プルーム(Silver Plume)を通過して飛行しようとした。 ジョージタウン(Georgetown)の標高は8512ftでシルバー・プルーム(Silver Plume)は9118ftであった。 谷底の標高はその後も上昇し続け、 ラブランド・パス(Loveland Pass)では11990ftに達して上昇し続けた。 Dry Gulch近くを飛行中に、副操縦士は、 おそらく事故機が前方のロッキー山脈分水界を超えることが出来ないことに気付き、 右旋回を開始した。 旋回の後、機長が操縦を交代し左旋回を開始したが、 機体が振動し始めた。機長は機首を下げたところ、 31度の左バンク、 4度の降下角でTrelease山(標高12447ft)の標高10800ft地点の木々に衝突した。 木々は425ftにわたって切り倒された。

事故調査報告書は、運航乗務員が前方の障害となる地形を回避するために、 高度を上げることも、 コースを引き返すこともしなかったことを推定原因に指摘した。 また、事故に関する顕著な要因として、 事故機が渓谷の上空に到達した際、 5165ポンド過積載であったこと、 デンバー-ローガン間の飛行ルート選定の際の飛行計画立案が事実上欠如していたこと、 運航乗務員にマーチン4-0-4の性能や限界に対する知識が不足していたこと(同型機での飛行経験が機長には123時間、副操縦士には30時間しかなかった)などが指摘された。

事故機は西暦1952年に製造された。