事故機は、ウィチタ州立大学のフットボールチームとスタッフをユタ州ローガンまで運ぶためにジャック・リチャーズ航空機会社(Jack Richards Aircraft Company)がGolden Eagle Aviationからチャーターした2機のマーチン4-0-4のうちの1機であった。
両機とも運航乗務員はゴールデンイーグル航空(Golden Eagle Aviation)の乗務員であり、
事故機の副操縦士はゴールデンイーグル航空(Golden Eagle Aviation)の社長が勤めた。
両機はオクラホマ州オクラホマシティーから
フェリーされた後、
カンザス州ウィチタで乗客を搭乗させ、
給油のための経由地デンヴァーに向けて出発した。
事故機がデンヴァーに向けて巡航中に副操縦士が客室を訪れた際に、
数名の乗客がデンヴァーからローガンを飛行する際は、
景色の良いルートを飛行してはどうかと助言をした。
事故機がデンヴァーに到着したのは午前11時19分頃であり、
両機は給油などのサービスを受けた。
その間、事故機の副操縦士は景色の良いルートを検討するためにこのセクションの航空路図を数枚購入した。
もう1機のマーチン4-0-4であるN470Mは、
事前に予定していたフライトプラン通りにデンヴァーに向けて離陸した。
事故機は副操縦士が
パイロットフライングとして左席に座り、
午後0時29分、デンヴァー・ステープルトン国際空港を離陸した。
事故機は谷に抜けるために僅かに南に旋回し航空路を外れた。
事故機はUSハイウェー6のやや南をハイウェーに沿いにラブランド・パス(Loveland Pass)に向けてジョージタウン(Georgetown)とシルバー・プルーム(Silver Plume)を通過して飛行しようとした。
ジョージタウン(Georgetown)の標高は
8512ftでシルバー・プルーム(Silver Plume)は
9118ftであった。
谷底の標高はその後も上昇し続け、
ラブランド・パス(Loveland Pass)では
11990ftに達して上昇し続けた。
Dry Gulch近くを飛行中に、副操縦士は、
おそらく事故機が前方のロッキー山脈分水界を超えることが出来ないことに気付き、
右旋回を開始した。
旋回の後、機長が操縦を交代し左旋回を開始したが、
機体が振動し始めた。機長は機首を下げたところ、
31度の左バンク、
4度の降下角でTrelease山(標高
12447ft)の標高
10800ft地点の木々に衝突した。
木々は
425ftにわたって切り倒された。
事故調査報告書は、運航乗務員が前方の障害となる地形を回避するために、
高度を上げることも、
コースを引き返すこともしなかったことを推定原因に指摘した。
また、事故に関する顕著な要因として、
事故機が渓谷の上空に到達した際、
5165ポンド過積載であったこと、
デンバー-ローガン間の飛行ルート選定の際の飛行計画立案が事実上欠如していたこと、
運航乗務員にマーチン4-0-4の性能や限界に対する知識が不足していたこと(同型機での飛行経験が機長には123時間、副操縦士には30時間しかなかった)などが指摘された。
事故機は
西暦1952年に製造された。