事故発生日:
西暦1970年5月2日
便名:ALM アンティリアン航空 980便(機体記号:N935F)
機種:マクドネル・ダグラス DC-9-33CF
死者:乗員6人乗客57人、合計63人中乗員1人、乗客22人合計23人が死亡。
状況:
西暦1970年5月2日午後3時49分、
アメリカ・ニューヨーク州ニューヨーク発オランダ領西インド諸島セント・マーテン行きアンティリアン航空 980便(但し機材及び運航乗務員はオーバーシーズ・ナショナル航空からリースを受けた)980便DC-9-33CFが、
アメリカ領ヴァージン諸島サン・クロワの東北東約30マイルの海上に墜落した。
この事故で、乗員6人乗客57人、合計63人中乗員1人、乗客22人合計23人が死亡した。
国家運輸安全委員会(NTSB)によって調査が行われた。
報告書では、燃料の管理不十分や、
気象条件や複数の混乱によってパイロットが注意散漫になったことが事故原因とした。
主に、燃料消費率の誤算、燃料ゲージの誤読、
および着陸時に残ると予想した燃料量の誤りが燃料を枯渇させたと述べた。
NTSBは、「この事故の原因は、燃料が無くなるまで空港への着陸を行わず、代替空港にも向かわなかったこと」だとした。
また、着水前後で乗員同士での話し合いが足りなかったために、
犠牲者を増やす要因となったと述べた。
報告書では、緊急着陸および脱出のチェックリストに「乗客へ警告する」こと、
パブリック・アドレスを使用すること、
古いタイプのシートベルトを段階的に廃止し新しいものにすることを提言した。
...
980便はジョン・F・ケネディ国際空港から通常通りに離陸し、
カリブ海上空を飛行していた。
その後、管制官から
10,000フィートまでの降下許可を得たが、
プリンセス・ジュリアナ空港の天候が悪く、
視界もあまりないことを知らされた。
機長は予定通りにプリンセス・ジュリアナ空港へ着陸することにし、
暫くすると管制官が空港の天候が回復したと告げた。
980便は最初の進入で滑走路を視認できず、着陸復航を行った。
2度目の進入は滑走路との位置が合わず、
3度目は機体が高すぎ着陸できないと判断して復航した。
天候と燃料の状況確認をした後、
乗員はセント・トーマス島への
ダイバートを決断した。
この時点で、乗員は、
計算した燃料残量と実際の残量に食い違いがある可能性について気づいた。
乗員は、セント・トーマス島よりさらに近くにあるセント・クロイ島への着陸を試みようとしたが、
結局燃料が足りなかった。
機長は管制官に不時着水すると伝え、
カリブ海への着水準備を開始した。
現地時間15時49分に機体は不時着水した。
不時着水を行うというパイロットの報告は付近を飛行するパンアメリカン航空454便なども聞いていた。
パイロットは着水前にシートベルトサインを付けたが、
客室の何人は気付かなかったか、理解しなかった。
その結果、乗員乗客の一部は着水時に立っていたかシートベルトをしていなかった。
機体は、着水後も変形はしなかったが、
約
5,000フィートの海中に沈んだ。
パイロットはどちらも生き残っていた。
ヘリコプターによる生存者の救出は、
着水から約1時間半後に開始され、
救助開始から1時間後に最後の生存者である副操縦士が救出された。
最終的に、乗員1人と乗客22人が死亡した。
救助活動は、沿岸警備隊、海軍、海兵隊によって行われた。
パンアメリカン航空の航空機が救助ヘリを現場まで案内した。