状況:事故機はドンムアン空港からバンダラナイケ国際空港、チャトラパティ・シヴァージー国際空港、カイロ国際空港を経由してユーロエアポート・バーゼル=ミュールーズ空港へと向かう旅客便であった。
チャトラパティ・シヴァージー国際空港を出発した時点で同機には乗員10人・乗客120人が搭乗していた。
予定では次にカイロ国際空港に着陸することになっていたが、
当時悪天候のため同空港は閉鎖されていた。
飛行計画によれば、
この際代替空港としてレバノンのベイルートにあるラフィク・ハリリ国際空港へと向かう予定であったが、
事故機はその代わりにキプロスのニコシアへと向かった。
しかし、ニコシアも当時雷雨に見舞われていた。
事故機はニコシアの空港の滑走路32に進入しようと試みたが、
1回目は機体の高度がグライドパスよりも高かったため失敗し、
2回目の
アプローチを試みることになった。
予定ではこの
アプローチが左旋回によって行われることになっていた。
しかし、1時13分に同機は低高度で旋回中に丘に墜落し、
機体は尾翼部分を除いてほぼ完全に破壊された。
この事故で乗員乗客130人中126人が死亡し、
客室乗務員1人、
乗客3人(スイス人1人・ドイツ人2人)の4人が生存した。
2020年現在、
この事故はキプロス最悪の航空事故であり、
かつブリストル ブリタニアによる航空事故の中でも最悪の事故となっている。