状況:
日本航空羽田空港墜落事故は、
西暦1966年8月26日に起きた航空事故である。
コンベア880-22Mが、
羽田空港から離陸直後に墜落炎上したもので、
乗員訓練飛行につき乗客の搭乗はなかったが、
同社員4名と運輸省(現:国土交通省)航空局職員1名の5名全員が犠牲になった。
日本航空の訓練機が、
試験項目の一つであるワン・エンジン・クリティカル・カット・アウト(離陸時にエンジン一発故障の想定で離陸続行)で、
滑走中に第4エンジンが手動停止された。
この操作によって風下の外側の推力がゼロとなり、
機体は急激に片滑りし始めた。
目撃証言によれば、
C滑走路から右へ逸脱し始め、
左車輪が折れてC滑走路とA滑走路の間で左向きになった上で、
右車輪も折れてしまった。
その衝撃で胴体着陸して爆発炎上し、
乗員が脱出する時間もないまま全焼した。
事故原因は、
前述の操作が困難な機体に加え、
訓練生のミスも誘発されて離陸直後の墜落に至ったとされている。
なお、民間人がこの時の様子を写真に収めたものが新聞に掲載され、
NHKニュースでは、
民間人が8ミリ映画で撮影した墜落の瞬間が放送された。
また専用の訓練飛行場も無く、
発着の旅客機で常に混雑している羽田空港で試験飛行を行わなければならないという危険な事実も明らかになった事故でもある。
乗員訓練飛行につき乗客の搭乗はなかったが、
同社員4名と運輸省(現:国土交通省)航空局職員1名の5名全員が犠牲になった。