状況:
全日空羽田沖墜落事故は、
千歳空港から羽田空港へ向かっていた全日本空輸60便が、
東京湾上空をショートカットする形での有視界飛行方式 (VFR) による着陸ルートを選択したが、
19時00分23秒を最後に管制塔からの呼びかけに応答しなくなった。
その後、
23時55分に捜索機が木更津北方
7海里付近において全日空の標示のある翼の一部を発見し、
機体の内張りの一部および乗客の衣類を収容し、
午前0時5分に捜索船が羽田灯標東南東
6.4海里で最初の遺体2体を収容した。
具体的な墜落時刻は不明なものの、
19時00分20秒に最後の交信があってから応答がなくなるまでの数十秒の間と思われるが、
写真では航空機関計器盤の時計が19時05分12秒を指して止まっているのが確認される。
西暦1966年当時において一機の単独事故としては世界最大の墜落事故となった。
原因不明。乗員乗客133人全員が死亡。
乗客1名を除く乗客乗員132名の遺体は4月14日までに発見された。
収容された乗客の遺体の検視結果は、
墜落の衝撃による頸骨骨折、
脳や臓器損傷によるものと溺死によるものが多数を占めた。
5月10日に遺体の捜索は打ち切られたが、
最後の乗客1名の遺体は8月9日に横須賀の夏島の岸壁に漂着しているところを発見された。
収容時に遺体の頭部は失われていたが、
着衣から本人と確認されたという。