状況:
日東航空つばめ号墜落事故は、
大阪空港から徳島へ向かっていた日東航空(日本エアシステムなどを経て現在の日本航空)のDHC-3オッター水陸両用旅客機「つばめ号」が、
淡路島の兵庫県三原郡南淡町(現在の南あわじ市)にある
諭鶴羽山に墜落したのは、
西暦1963年5月1日8時56分ごろであった。
つばめ号は8時11分に大阪を離陸したが、
濃霧の中を飛行していたため航路を誤り、
諭鶴羽山中腹の標高約300m地点に墜落し大破炎上した。
事故機は1958年4月に新造機で購入した機体で、
事故の1か月ほど前にオーバーホールした時点では何も問題はなかったという。
事故の連絡を受け、
所管の三原署は警察車両5台を現場に向かわせると共に、
近くの南淡中学校に現地対策本部を立ち上げた。
運航乗務員2名は操縦席左右のハッチから脱出して救助されたが、
乗客の9名全員が犠牲となった。
乗客は着席してシートベルトを締めたままだった事もあり、
火の回りが速く逃げ出す余裕がなかったためとされた。
遺体は洲本で荼毘に付されたあと各遺族へ引き渡された。
日東航空は5月6日に大阪市北区の東本願寺で合同葬儀を行うと発表したが、
一部の遺族はこれに反対した。
なお、機長の業務上過失致死傷、航空法違反について大阪高裁で有罪判決が下されたが、
最高裁は上告を棄却した。
航空事故に関する裁判としては最高裁では最初のものである。