状況:
アエロフロート25便墜落事故は、
西暦1963年4月4日に発生した航空事故である。
シェレメーチエヴォ国際空港発イェメリャノヴォ空港行きだったアエロフロート25便(イリューシン Il-18V)が、
飛行中にエンジン故障に陥り、墜落した。
乗員乗客67人全員が死亡した。
25便は、3時12分にモスクワを出発し、
20,000フィートまで上昇した。
燃料消費を減らすため、
パイロットは
26,000フィートへの上昇を要求したが、
付近にTu-104がいたため当初は許可されなかった。
4時15分、Tu-104がカナシュを通過したと報告し、
その時点で25便から40-50km離れていたので、
4時22分に
26,000フィートまでの上昇を許可した。
4時26分、25便は上昇の許可を確認し、
24,600フィートでライシェヴォを通過したと報告した。
これが管制官との最後の交信となり、
4分後に管制官が呼び掛けた時には応答はなかった。
26,000フィートへの上昇中に突如、
第4エンジンが逆推力になった。
そのため、機体は右に傾き始めた。
パイロットは、
右翼側のどちらのエンジンに異常が起きたか分からなかったため、
どちらのエンジンもフェザリングにした。
激しい抗力により機体は急降下し、
490フィート -
660フィート付近で一時的にコントロールを取り戻した。
しかし、機体を急降下から立て直すには高度が低すぎ、
4時30分に
270ノット -
324ノット (500 - 600 km/h)の速度で地面に激突した。