状況:1963年アンカラ空中衝突事故は、
西暦1963年2月1日にトルコ共和国アンカラ県アンカラ上空でエセンボーア国際空港へ着陸進入中であったミドル・イースト航空265便と、
エティメスグト空軍基地から離陸し訓練飛行を行っていたトルコ空軍のダグラス C-47が空中衝突した事故である。
この事故では両機の乗員乗客17人全員のほか地上にいた87人の計104人が死亡した。
キプロスのニコシアからトルコのアンカラにあるエセンボーア国際空港に着陸しようとしていたレバノンの旅客機が、
トルコ空軍の訓練機に追い付く形で空中衝突し空中分解、
市街地に墜落したため多くの住民も巻き込んだ。
事故原因は角度の関係で衝突の直前まで旅客機のパイロットがトルコ空軍機を視認出来なかった(コリジョンコース現象)が原因と推測されている。
また事故が発生した空域は民間機の航路と空軍の訓練空域が重複していたが、
軍民の航空管制の連携が行われていたことも一因であるとされた。