状況:ラン・チリ航空621便墜落事故は、
西暦1961年4月3日マケウエ空港(テムコ)発、
ロス・セリージョス空港(サンティアゴ)行きのラン・チリ航空(現LATAM チリ)621便として運航されたDC-3が墜落し、
54年後の
西暦2015年1月にアンデス山脈で機体が発見された事故である。
事故機の乗客にはコパ・チリに出場したクルブ・デ・デスポルト・グリーン・クロスの選手8人、
スタッフ2人が含まれていた。
追悼のため、同年のコパ・チリはコパ・チリ・グリーン・クロスと命名された。
この経緯から、チリではグリーン・クロスの悲劇として知られている。
18時28分、621便はマケウエ空港から離陸した。
雨中を飛行したため主翼とプロペラに着氷し、
19時35分にはロス・アンヘレス上空より飛行高度の低下が要請された交信記録が残されている。
その後、サント・ドミンゴの無指向性無線標識の記録を最後に消息を絶った。
失踪した機体の捜索が行われた。
リナーレスの砲術学校所属のフアン・バンカラリ・サペティーニ大佐によりリナーレス近郊の山腹に衝突したと推測された。
4機のB-26が捜索と航空写真撮影のために用いられ、
10日に機体の残骸が確認された。
4月11日に尾部と何人かの遺体が発見されたことで、
墜落により死亡したものと認定され17日に葬儀が行われた。
犠牲者の葬儀はチリ中央サッカー協会で行われた。
グリーン・クロスの選手の棺は協会内の殿堂に安置されているが、
棺は象徴的なもので収められているのは遺体ではなく灰や石であると、
グリーン・クロスの選手で難を逃れたカルロス・アル=ノール・パラが証言している。