事故発生日:
西暦1958年8月15日
便名:アエロフロート 04便(機体記号:CCCP-Л5442)
機種:ツポレフ Tu-104A
死者:乗員10人乗客54人、合計64人全員が死亡
状況:アエロフロート04便墜落事故は、
1958年8月15日に発生した航空事故である。
ハバロフスク空港よりヴヌーコヴォ国際空港へ向かっていたアエロフロート04便(ツポレフ Tu-104A)が、
ソビエト連邦のハバロフスキー地区へ墜落、
乗員乗客64名全員が死亡した。
この事故はTu-104による最初の死亡事故であった。
...
04便はハバロフスク空港からイルクーツク国際空港を経由してヴヌーコヴォ国際空港へと向かう便であった。
パイロットが受け取った事故当日のハバロフスク-イルクーツク間の天気予報によれば、
ハバロフスク空港の上空300 - 600 m間に積乱雲と層状雲が存在し、
ビロビジャン - マグダガチ間では雷雨が存在するとのことであった。
また、当時の視界は4 - 10 kmであった。
04便は当初の予定より3時間35分遅れ、
現地時間21時45分にハバロフスク空港を出発した。
21時50分、04便は管制より高度9,000 mを維持するよう指示された。
150 kmほど飛行した後、
その上空を飛行するには高度が高過ぎる積乱雲に遭遇した。
そこで、04便は管制の許可を得て積乱雲を避け、
管制指示に従って飛行高度を変更した。
高度8,600 m地点で、
パイロットはさらなる積乱雲を避けるために高度を上げる許可を管制へ求めた。
この時の管制から指示は、
アルハラを通過するまでは高度11,000 mで飛行し、
その後は高度を9,000 mに下げるようにというものであった。
しかし、高度11,000 m地点ではまだ雲が残っていたため、
04便は高度12,000 mまで上昇する許可を与えられた。
22時12分に04便は、
高度11,600 m地点を通過して星が見えたと報告した。
22時14分、04便機長は管制へ同機が高度12,000 mへ到達したことを報告した。
その際パイロットは、
04便の前方に積乱雲があり、
避けられない場合はハバロフスク空港へ戻ると述べていた。
しかし、22時18分に管制官が04便と交信した際、
同機からは興奮した声で「1分、あと1分」との返答が返って来たのみであった。
1分後に再度交信を試みた際にも同様の返答が得られた。
その後、22時20 - 25分間に04便はハバロフスク空港より北西へ215 km離れた密林に60度の角度で墜落し、
機体の残骸が幅450 mの範囲に散乱した。
04便に搭乗していた乗員乗客64人は全員死亡した。