事故発生日:
西暦1941年12月1日
便名:中華航空 上海号
機種:ダグラス DC-3
死者:乗員4人乗客14人、合計18人の内16人が死亡
状況:上海号不時着事件は、
日華事変(日中戦争)時に発生した航空機事故である。
事故そのものよりも事故機に軍事機密書類が搭載されていたことから、
日本軍が震撼したとされる事件である。
上海号は、
台北飛行場から南京国民政府の広東へ向けて飛行していた。
予定では台北から3時間で広州に到着するはずであった。
しかし、汕頭上空通過の通信を最後に通信が途絶えた。
中華航空やその他の飛行場では通信が途絶えたことに不安を持ったが、
通信機の故障も予想されたため、
広東飛行場に上海号が現れるのを待った。
しかし到着予定時刻の午後4時を過ぎても機影を確認することができなかった。
燃料が枯渇する午後5時過ぎ、
中華航空は遭難の気配濃厚として支那派遣軍総司令部に報告した。
連絡を受けた司令部は大混乱となり、
その日のうちに不時着機の捜索が開始された。
そして12月3日に、
日本陸軍の偵察機(九八式直協機)が仙頭と広州の中間付近の獅朝洞高地に不時着している上海号を発見した。
事故原因は明らかではないが、
悪天候により山岳地帯に迷い込み不時着を余儀なくされたと推測されている。
なお上海号の機首は相当破損していたが胴体部分が原型を留めており生存者がいる可能性があった。
しかし、現場は敵地内であり救出は難しかった。
そのうえ当時は、敵地内に不時着した場合、
軍人は交戦の上自決、民間人は捕虜もしくは軍人同様に自決であり、
日本軍が介入する事態ではなかった。
しかし日本軍は機体発見直後に、
不時着機を爆撃機で爆撃し破壊した。
これは事故機に12月8日に予定されていた対米英開戦時における香港攻略作戦の作戦命令書及び暗号書など機密性の高い書類が積まれており、
それが敵側に渡るのを恐れての行為であった。