状況:
SSSR-V6 オソアヴィアヒムは、
流氷に閉じ込められたイワン・パパーニンの極地探検隊の救助のためムルマンスクに派遣されることになった。
モスクワの基地からムルマンスクまでの飛行の間に極地の天候に対する飛行特性がテストされた。
西暦1938年2月5日、16時45分、
ムルマンスクの280km南の、カンダラクシャの近くの高地に衝突し、
乗員19人のうち13人が犠牲となった。
公式の発表では革命前の古い地図の地形が間違っていたことが事故原因としたが、
視界の悪かったことと、
操縦ミスが事故の原因であったとされる。
犠牲者はモスクワのノヴォデヴィチ墓地に葬られ、
墜落現場には
西暦1968年に記念碑が建てられた。
SSSR-V6 オソアヴィアヒムの事故はソビエトの飛行船の開発に打撃を与えた。