紀年論(きねんろん)
『
日本書紀』の紀年および『古事記
』の天皇崩年干支にかんする議論。
『
日本書紀』の紀年についての疑問は江戸時代にも提出されていたが、
学問的手続をもってこれを論じたのは明治期の
那珂通世である。
神功紀、応神紀の紀年は両紀に引用された百済史料《百済記》と同じ干支ながら、
120年の差があることから、
両紀の紀年が120年(干支2運)くりあげられていることを
那珂通世は論証した(今日、この干支2運くりあげの紀年操作は神功皇后を卑弥呼に擬定するためと理解されている)。