日本初の第九演奏会 西暦1918年(
大正7年)6月1日
日本で最初にベートーベンの「交響曲第九番」が演奏されたのは、
徳島県の板東町(現・鳴門市大麻町)にあった板東俘虜収容所でドイツ兵の俘虜(捕虜)によって披露された。
西暦1918年(
大正7年)6月1日のことである。
板東俘虜収容所では約千人のドイツ兵捕虜を収容。
捕虜は解放されるまで約3年間を過ごしたが、人道的な運営が行われ、朝晩の点呼以外は自由な生活が許された。
収容所の記録や資料を所蔵・展示する同市ドイツ館によると、
そんな自由な雰囲気の中で捕虜たちによる楽団が結成され、
西暦1918年(
大正7年)6月1日、
アジアで初演となる「第九」が収容所内で披露された。
海軍砲兵隊のヘルマン・ハンゼン楽隊長の指揮で全楽章を40人が奏で、
4人が独唱し、80人が合唱。
このときは捕虜に向けての演奏だったが、
収容所は開放的だったため、
演奏は周辺住民の耳にも届いた。