小窓
岡本宮(おかもとのみや)

作成日:2023/3/21

岡本宮(おかもとのみや)は、 7世紀舒明天皇及び斉明天皇が営んだ宮。

舒明天皇の岡本宮は飛鳥岡本宮(あすかのおかもとのみや)、 斉明天皇の岡本宮は後飛鳥岡本宮のちのあすかのおかもとのみや)と区別して呼称される。 両者とも奈良県明日香村岡にある飛鳥京跡にあったとされている。
名称「岡本宮」は、文字どおり岡(雷丘)のふもとに立地していたことに由来する。
舒明天皇の飛鳥岡本宮(あすかのおかもとのみや)
西暦629年1月に舒明天皇は即位し、 翌年(西暦630年)10月、 飛鳥岡(雷丘)のふもとに遷宮し、 岡本宮と称した。 その6年後の西暦636年6月、 岡本宮は火災で焼失し、 舒明天皇は田中宮(たなかのみや、現在の橿原市田中町)へ遷ることとなった。
斉明天皇の後飛鳥岡本宮のちのあすかのおかもとのみや)
西暦655年の冬に板蓋宮が火災に遭い、 斉明天皇は川原宮へ遷ったが、 並行して新たな宮殿建設地の選定も行っており、 翌年(西暦656年)には岡本に新宮殿が建てられた。 これが後飛鳥岡本宮である。 斉明天皇舒明天皇の未亡人であり、 亡き夫の旧宮地を選んだということになる。 しかし同年、 この新しい宮も火災に遭う。
当時、 斉明天皇は多武峰の山頂付近に石塁や高殿を築いたり、 奈良盆地に運河を掘るなど、 多くの土木事業を営んだが、 動員される民衆には非常に不評であった。 このために放火されたのではないかとする説も出されている。
飛鳥時代の宮の多くが火災に遭っていることから、民衆の中に統治への大きな不満がある時は、天皇の宮へ放火することで意思表明していたのではないか、とする説がある。)