伯禽(はくきん、? - 紀元前997年)は、魯の初代君主。姓は姫、名は伯禽。
父は周公旦。
魯公(ろこう)・公伯禽(こうはくきん)としても知られる。
弟は周平公、蒋伯龄
子は鲁考公、鲁炀公
周公旦の子として生まれる。
父の周公旦は、文王の四男で、
初代武王の同母弟であり、
周王朝の政治家である
当時、
父の周公旦は魯の国に封じられていたが、
周の成王を助けるために、
周の摂政として周に残っていた。
代わりに子の伯禽が、
現在の中国山東省南部の魯に「魯公」として派遣された。
伯禽は在位46年で亡くなり、息子の呂高公が跡を継いだ。
魯の君主就任後(紀元前1042年?)に管叔鮮・蔡叔度を指揮官とする反乱が国内で起こり、これを収めて魯に平定をもたらし、服喪三年の定めを取り決めなど魯の風習を改定したという。尚、紀元前997年に君主の座を子の「考公」に譲っている。