山陽鉄道軍用列車海中転落事故
西暦1895年(
明治28年)7月25日
当時山陽鉄道の路線だった山陽本線尾道駅 - 糸崎駅間を深夜に走行していた上り軍用列車(蒸気機関車牽引、客車23両、車両はすべて鉄道局所有)が、
神戸起点225.3km付近(現在の広島県三原市と尾道市の境界)において、
折からの暴風雨による満潮時の波浪で、
築堤が300mにわたって崩壊していた線路に突入したため、
機関車と客車6両が瀬戸内海に脱線転落した。
軍用列車には日清戦争に従軍した傷病兵と付添人、
乗員ら358名が乗車していたが、
11名死亡(うち乗員3名)し、
98名が負傷した。
事故後脚気で3名が死亡したため、
後述の慰霊碑では乗客の死者を11名としている。
機関車に乗務していた機関士と火夫見習いは殉職したが、
火夫は顔面の負傷のみで助かり、
海中に転落した客車から傷病兵を救助し、
事故発生を知らせるために徒歩で尾道駅に向かった。
現在、同区間は海岸から少し離れたところに線路があり、
海岸との間に国道2号があるため、
同種の災害が起きる危険度は低い。
慰霊碑は事故から41年後の
西暦1936年に第5師団の手で建立されており、
現在も山陽本線才の原踏切(尾道バイパスと鉄道の立体交差地点)の傍らにある。