小窓
サティヤーグラハ

作成日:2024/5/20

サティヤーグラハは、 マハトマ・ガンディーの提唱したイギリス植民地支配への抵抗手段。 非暴力・不服従の理念をガンディーは「真理の把持」を意味するサティヤーグラハと呼んだ。 イギリス官憲の暴力、宗教対立、 外国軍の侵入など多くの試練があったがガンティーは一貫してこの理念を追求した。

非暴力は、暴力的な手段に訴えずに、愛によって敵を説得するという、 ヒンドゥー教の古典『バガヴァッド=ギーター』などから続く伝統的な不殺生(アヒンサー)に基づく思想である。 また不服従とは、不当な権力に対して、 その命令や法令に従わず、納税を拒否し、 公職を辞任するなどの手段を通じて戦うことである。

ガンディーは西暦1888年、 ロンドンに渡り、苦学して弁護士資格を取り、 西暦1893年から南アフリカで活動、 厳しい人種差別に直面し、人種差別解消の運動を開始した。 その過程で運動の指針としてインド固有のヒンドゥー教の精神に学び、 西暦1907年に『ヒンドゥ=スワラージ』(インドの自治)を発表、 大きな反響を呼んだ。

その理念に基づいた運動は、 ガンディーが名付けた用語によってサティヤーグラハ運動とも呼ばれた。 ガンディーの運動はイギリス当局による弾圧を受けながら、 次第に明確なインド独立運動の指針となっていくが、 幾度かの挫折と再建を経過しており、 大きく分けると、 西暦1919年西暦1922年の第1次非暴力・不服従運動と、 西暦1930年から西暦1934年の第2次非暴力・不服従運動の二つの時期を山場として展開された。