糸割符制度(いとわっぷせいど)/
白糸割符制度(しらいとわっぷせいど)
ポルトガル商人による利益独占を排除するために
西暦1604年に導入された制度。
輸入生糸を糸割符仲間と呼ばれる特定 の商人に一括購入・販売させるようにした制度。
糸割符仲間を構成する商人は、
最初、
京都・堺・長崎に限られていたが、
西暦1631年に江戸・大坂を加えて五カ所となった。
西暦1655年(
明暦元年)中国商人の抵抗(この背景には鄭成功がいたと言われている)を受け糸割符仲間は解散し、
市法売買となった。
西暦1685年(
貞享2年)に復活(ただし、平戸以下の分国配分は復活させず)されて幕末まで続いたが、
日本国内における生糸の生産が増加し、
輸入生糸の重要性(新しい糸割符制度は日本国内産生糸を保護と生糸の輸入制限の意図を兼ね備えていた)が低下したことから次第に有名無実化した。