洛邑/雒邑(らくゆう)
洛邑は、紀元前11世紀、西周第2代王・成王の時代に、
殷を滅ぼした周の東方経営の拠点の下都として、
周公丹(しゅうこうたん)が建設したといわれ、
王城、成周、東都と呼ばれたことに始まる。
中国河南省西部にある洛陽市の元になった。
東周初代王・平王の時代、
戦乱により荒廃した渭水流域の宗周鎬京城(後世の
長安)より都が移された。
邙山(ぼうざん)により黄河本流の氾濫からは遮られており、
この地域一帯には新石器時代より重要な遺跡が残されている。
洛河支流の澗河上流には仰韶文化の発見由来ともなった仰韶村遺跡があり、
文化古典伝承の夏に相当するとも考えられている二里頭遺跡、
殷初期の都城遺跡である偃師商城などが並んでいる。