「私は以前、子(あなた)に大いに期待を寄せていましたが、今は失望しました。
古昔、先王は事の軽重をその都度計って罰を決め、殊更に刑法を制定されなかったのは、
法を盾にしての争いを未然に防ごうとしたからなのです。
それでも完全には禁止できなかったので、徳義・礼信によって防ぎ、
政によって導き、禄位を定め、刑罰の寛厳を使い分け、民に忠誠と善行を勧めたのです。
ところが刑罰の
成文法が出来たことを知れば、
民には御上を敬う心は無くなり、
誰もが条文を盾にするようになり治めきれなくなりましょう。
古の昔、夏に政令を犯す者が現れて「禹刑」が、商に政令を犯す者が現れて「湯刑」が、
周に政令を犯す者が現れて「九刑」が作られましたが、
この三刑はいずれも末世のことです。
今 子は刑を定めてそれを鋳込まれて鼎を作られたという。
それで民の安定を考えても、到底無理な事だと存じます。
「詩」に曰う、
さすれば、法などは無用なのです。
「国亡びんとすれば、法を定むること多し」と吾は聞く。