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田斉

作成日:2023/1/12

田斉
建国 紀元前386年
滅亡 紀元前221年
国姓 嬀姓田氏
爵位 侯爵
     紀元前344年
王を称す
国都 臨淄
始祖 太公
 
田斉(でんせい)は、 中国の戦国時代、 紀元前386年に田氏が姜姓呂氏の斉(姜斉または呂斉)を滅ぼして新たに立てた国。 国号は単に斉であるが、 西周・春秋時代の姜斉と特に区別する場合に嬀斉または田斉と呼ばれる。 戦国時代中期には、 嬀王の頃に東帝を称するまでになるほど強盛を誇り、 戦国七雄の一つにも数えられる。 首都は姜斉の時と変わらず臨淄であった。

紀元前265年、 襄王が死に、子の田建が即位した。 母の君王后(中国語版)が輔政した。 紀元前249年、 君王后がこの世を去り、君王后の族弟の后勝(中国語版)が執政した。 后勝は秦から賄賂を受け取り、秦の都合のいいように主張した。 田建は后勝の主張を聞き入れ五国(韓・趙・魏・燕・楚)の滅亡を傍観し、 軍事を強化しなかった。

五国が滅亡すると、田建は秦が侵攻することを恐れ、 将軍や軍隊は西部の辺境に集結した。

紀元前221年、 秦王政は斉の攻略を王賁に命じた。 秦軍は斉軍の主力が集結した西部を避け、 元燕の南部から南下し臨淄へ侵攻した。 斉軍は秦軍からの突然の北面からの侵攻に、 不意をつかれ瓦解した。 田建は降伏し、斉は滅亡した。 田建は魏の旧領の500里の邑へ赴いたが、食糧を絶たれ、餓死した。

斉の地に斉郡と瑯琊郡を置いた。 秦は中華を統一し、統一王朝の秦朝となった。

年譜

歴代君主

歴代君主
No.諡号姓・諱在位備  考
諡号 姜・尚 不詳 紀元前1000年

田斉の君主

田斉の君主
No.諡号姓・諱在位備  考
太公 姜・尚 不詳 紀元前1000年 氏は呂。太公望として知られる。