国造(くにのみやつこ、こくぞう、こくそう) 大和時代に、朝廷によって任じられた地方官の一つ。
7世紀の初め頃から大和朝廷は、地方行政組織である国県制度の一環として、
以前からその地方に土着し部民(べみん。隷属民)などを私有していた豪族を
国造に任じたり、
朝廷から派遣したりして、支配権を確立していった。
国造の支配した「くに」は、大化以後の国より小さく、
国の下の郡に相当する大きさであったと思われる。
地方で大きな勢力をもち、同族団を形成していた
国造には臣姓が、
九州、中部、関東の
国造には公・君姓が、
畿内およびその周辺、
大和朝廷の屯倉 (みやけ) のある地方の
国造には直 (あたえ) 姓が与えられた。
国造は、大化改新後、律令制によって廃止されたが、
その治める地域の多くは国郡の郡を構成するようになった。
しかし、旧来の
国造は、
令の規定によって、
性識清廉で時務にたえるものがその郡の大領、少領に、
強幹聡敏で書算に巧みなものが主政、主張などに任じられ、
令制の地方官として優先的に採用された。
このように、大化以後の新政府においては、
国造の政治、経済上の地位はそのままで、
国造の称号や祭祀権もそのまま公認され、
職田に準じて国造田が支給された。