中国の戦国時代末期、
秦の呂不韋が食客を集めて共同編纂させた書物。
『呂覧』(りょらん)ともいう。
秦の始皇8年(紀元前239年)に完成した。
書名の由来は、 1年12カ月を天人相関説(時令説)をもとに春夏秋冬に分けた十二紀から『呂氏春秋』、 八覧から『呂覧』とする。
なお、
呂氏春秋完成後に秦の相国である呂不韋が一般公開し、
一字でも添削ができれば千金を与えると公言した。
これが「一字千金」の由来とされている。
中国、先秦の諸学説や諸説話を集めた一種の百科全書。
26巻。
秦の呂不韋の撰。
彼は戦国末の趙の富商で、 秦の始皇帝の父、 荘襄王の王位継承に大功があり、 丞相に任ぜられ、 文信侯に封ぜられて権力を極めたが、 のちに醜聞が発覚して自殺した。
彼には3000人の食客がいたといわれ、 彼らに著述させたものを編集したのが『呂氏春秋』である。
初め「八覧」「六論」「十二紀」の順序であったので「呂覧(りょらん)」ともいうが、 現在は「十二紀」「八覧」「六論」の順になっている。
この書は二十余万言からなり、
「十二紀」の終わりの「序意篇(へん)」によると、
人々をして自然の大道を知って、
人倫実践の規範を悟らしめることを目的とした書である。
「十二紀」は、孟春(もうしゅん)、仲春(ちゅうしゅん)、季(き)春、孟夏、仲夏、季夏、孟秋、仲秋、季秋、孟冬、仲冬、季冬の各紀五篇と序意の計61篇、
「八覧」は、有始、孝行、慎大、先識、審分(しんぶん)、審応、離俗、恃君(じくん)の各覧八篇(有始のみ七篇)の計63篇、
六論は、開春、慎行、貴直、不苟(ふこう)、似順(じじゅん)、士容の各論六篇の計36篇で構成され、
儒家、法家、道家、墨家(ぼっか)、陰陽(いんよう)家、兵家、農家など
の説が含まれ、
秦代思想史研究の唯一の資料である。
この書の注は後漢(ごかん)の高誘(こうゆう)のものがもっとも古い。
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