小窓
遺跡(日本・静岡)

作成日:2024/2/17

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登呂遺跡(とろいせき)

登呂遺跡(とろいせき) 静岡市駿河(するが)区登呂5丁目にある弥生(やよい)時代後期の農業村落址(し)。 西暦1943年(昭和18年)軍需工場建設工事の際に偶然発見され、 同年および西暦1947~西暦1950年と西暦1965年に発掘調査が行われた。

遺跡は、沖積地の自然堤防上に立地する集落址と、 後背低湿地の微高地を利用した水田址、 さらに森林址とから成り立っていた。 住居址は平地住居で、12軒が完全な形で発掘された。 平面形態は小判形を呈し、 周囲に羽目(はめ)板で土留めをした土手を巡らしていた。 倉庫は住居址群のなかに4本柱のもの2棟が存在した。 その形態は、残存していた木材や銅鐸(どうたく)絵画などから、 高床(たかゆか)式の切妻(きりづま)造りと推定され、 一木造りの梯子(はしご)や鼠返(ねずみがえ)しなどが備え付けられていた。

水田址は集落の南東に接する低湿地に存在し、 7万5000余平方メートルにわたって広がっていた。 木杭、矢板などを並べてつくった畔(あぜ)により区画され、 堰(せき)を設けた水路が南北に走っていた。 遺跡からは、丸木弓(まるきゆみ)、 鹿角(ろっかく)製釣針(つりばり)などの狩猟・漁労具をはじめ、 木製の剣・鍬(くわ)・鋤(すき)・田下駄(たげた)、 石包丁、双手槽(もろたぶね)、丸木舟、臼(うす)、竪杵(たてぎね)、 砧(きぬた)などの農具、建築用材、織機、五弦琴、土器、 指輪形・腕輪形銅製品などの装飾品など、 登呂の人々の日常生活をかいまみるような貴重な遺物が多数出土した。

登呂遺跡は、敗戦直後の日本では異例の大規模かつ組織的な調査がなされ、 これを契機として考古学者の組織である日本考古学協会が設立されるなど、 学史的意義が大きい。 弥生時代の東国の農耕形態を解明するうえで、 奈良県唐古(からこ)遺跡、 佐賀県吉野ヶ里(よしのがり)遺跡とともにもっとも重要な遺跡である。 西暦1953年特別史跡に指定された。 西暦1972年市立登呂博物館が開館、復原住居・倉庫もある。