元々アジア圏内は歴史上インドを中心に栄えており、それを軸に地政学あるいは国際政治学上の地理区分が行われた[1]。
ヨーロッパから見てそのインドより遠方の地域は極東と名付けられた[2]。
一方で、インドより近辺の地域は「中近東(Near and Middle East)」の呼称が一般的であった[2]。しかし、20世紀になり中東の概念が用いられるようになったことで、極東(Far East)、中東(Middle East)、近東(Near East)に三分した呼称で地域が区分されるようになった[2]。極東は列強諸国の進出が争われている地域、中東はイギリスからインドに至る要路に存在する地域、近東は東方問題が焦点になっている地域として捉えられた[3]。なお、当初の中東と近東の概念は第二次世界大戦後に定着したものとは範囲が大きく異なる[3]。
1941年12月15日、内閣情報局は「極東」の字句は「イギリスは世界の中心なりとの観念の上に組み立てられたものである」として、次官会議を通じて公文書、新聞、雑誌、宣言、決議などから「極東」を排除したいとの提言を行い認められた[4]。このため第二次世界大戦中の日本では使用頻度が減少した。
極東・中東・近東の区分については、第二次世界大戦後、中近東の区別が次第に使われなくなり「中東」にまとめられる傾向がある[5](近東を参照)。